伝記
アルタクセルクセス3世は、アケメネス朝ペルシア帝国の王で、在位は紀元前358年ごろから紀元前338年9月ごろまでとされる。本名はオコスといい、即位に際してアルタクセルクセスの名を名乗った。建国から約200年後に王となり、ペルシアから独立していたエジプトを再び支配下に置くなど、帝国の力を回復させた人物である。父はアルタクセルクセス2世、母は王妃スタテイラである。
即位前のオコスは総督や軍司令官を務め、反乱の鎮圧に貢献したとされる。彼は狡猾で残忍な性格だったと伝えられ、王位への道も血なまぐさかった。ユスティヌスによれば、正嫡の兄ダレイオスは父への陰謀が発覚して処刑され、継承権は次兄アリアスペスに移った。オコスは宦官らの助けを借りて策を弄し、アリアスペスを追い詰めて自殺させた。さらに父が寵愛した異母兄弟アルサメスも殺害させ、父の後継者となった。紀元前358年ごろに父が没して即位すると、彼は間もなく、王位を脅かしかねない兄弟姉妹や親族を皆殺しにしたという。父には側室の産んだ庶子も多く、ユスティヌスはその数を115人とするが、この数字は伝承の域を出ない。
即位後は、まずカスピ海沿岸の民族への遠征を行った。ついで小アジアの総督たちにギリシア人傭兵の解雇を命じたが、これは総督の力を抑え、王権を固めるためだった。これまでにも総督ダタメスは傭兵の力で独立に近い状態を築き、王子キュロスも傭兵を用いて王位を奪いかけたためである。紀元前356年ごろ、フリュギアの総督アルタバゾスの解任を図ると反乱が起こり、彼はアテナイの将軍カレスと結んで王軍を破った。王はアテナイに圧力をかけ、紀元前355年に、反乱した同盟市の独立を認め、小アジアから撤退することを義務づける和平を結ばせた。アルタバゾスは後にマケドニアへ逃れ、ピリッポス2世に迎えられた。
紀元前351年には、ペルシアから独立していたエジプトへ侵攻したが失敗し、シリアやフェニキア、キュプロスで反乱が起きた。彼はシドンを破壊してこれを鎮め、紀元前343年にエジプトを再びペルシアの支配下に置いた。この第二次遠征で最後のファラオ、ネクタネボ2世を破り、およそ60年ぶりにエジプトを帝国へ戻した。これがエジプト第31王朝にあたる。エジプトでは神殿の略奪や城塞の破壊を行ったとされる。これらの軍事的成功により、ギリシア人はペルシアへの行動に慎重になったと言われる。
晩年、ギリシアではピリッポス2世が力を伸ばした。王は彼と友好条約を結んだとされる一方、ピリッポスがペリントスを包囲するとペリントスを支援し、トラキアへ軍を送った。首都ペルセポリスでも新たな建築を進め、宮殿を建て、自らの墓を築き(王墓はペルセポリスにある)、未完成門のような長期の事業も始めた。スーサでは、彼の名を記したアッカド語の粘土板文書も見つかっている。紀元前338年9月ごろ、宦官で大臣のバゴアスによって、息子たちとともに毒殺されたとされる。毒を免れた息子アルセスが、バゴアスに擁立されてアルタクセルクセス4世として即位した。なお、彼の娘の一人は、後にマケドニア王アレクサンドロス3世と結婚したと伝えられる。
同じ年に亡くなった人物
同じ地域に関係する人物
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- Kidinnu (紀元前329)
- アレクサンドロス3世 (紀元前323年没)
- Seleucus of Seleucia (紀元前150)
- Al-Hilli (1326年没)