伝記
アルキダモス3世は、エウリュポン朝のスパルタ王である。先代の王アゲシラオス2世の子で、紀元前360年から紀元前338年まで在位した。のちの王アギス3世とエウダミダス1世の父であり、アゲシラオスという名の息子もいたとされる。
王子の時代から、そして王となってからも、スパルタの軍を率いた人物である。生年は伝わっていない。若いころにはスポドリアスの子クレオニュモスの年長の愛人であったとされ、その父の命を救うよう自分の父王にとりなしたという。この行為はアテナイとスパルタの対立をいっそう強めたといわれる。クレオニュモスの父の件は法的な争いごとであり、その父は王の敵対者であったとも伝えられる。紀元前371年にスパルタ軍がレウクトラの戦いでテバイに大敗すると、病に臥せっていた父王に代わって軍の指揮を執った。ペライの僭主イアソンの説得を受けて、テバイと講和したとされる。レウクトラの敗戦後にスパルタ軍を助けるために送られた部隊を率いたともいわれ、その後のペロポネソス半島での戦いでも指揮官を務めた。
その後、失った領土を取り戻そうと各地を転戦した。紀元前368年にはカリュアイを攻略し、アルカディアのパラシアの地を荒らし、アルカディア・アルゴス連合軍に勝利した。この戦いはスパルタ側に一人の戦死者も出なかったため「涙なき戦い」と呼ばれる。一説にはシラクサのディオニュシオス1世の助力があったともいう。この戦いでアルカディア軍のほか、アルゴス人やメッセニア人の軍も破ったと伝えられる。紀元前367年にアルカディア軍に大勝したとする記述もあり、年代には揺れがある。エリス人の要請で紀元前365年にアルカディアへ進み、クロムノスを占領して守備隊を置いたが、その翌年に同地でアルカディア軍に敗れ、自らも腿に傷を負った。紀元前362年には、レウクトラでスパルタ軍を破ったエパメイノンダス率いる軍に対し、スパルタ市の防衛で奮戦した。狭い通りで戦ったと伝えられる。
紀元前360年に父アゲシラオスが死んで王位に就くと、紀元前356年ごろから紀元前346年まで続いた第三次神聖戦争で、テバイに対抗してフォキスに味方した。この戦争はフォキスとテバイが十年にわたって争ったもので、聖戦、あるいはフォキス戦争とも呼ばれる。パウサニアスはこの理由を、アルキダモスのテバイ人への敵意とフォキス側からの賄賂だとして非難している。一方で、フォキス人がデルフォイの男を殺し女子供を奴隷に売ろうとしたとき、それをやめるよう頼んだことは称賛している。また、将軍フィロメロスがデルフォイとその財宝を奪う計画を持ちかけた際には、公然とは支持しないが秘かに支援すると述べ、50タラントンと傭兵を提供したともいわれる。
紀元前346年には、クノッソスと戦うリュットスを助けるためクレタ島へ渡った。紀元前343年、スパルタの植民市タラスがルカニア人などイタリアの住民との戦争で救援を求めると、翌年か翌々年にアルキダモスは艦隊と軍を率いてイタリアへ渡り、現地の人々と、とくにルカニア人やメッサピア人と戦った。兵は傭兵が中心であったともいわれる。ほかの伝えでは、イタリアでの戦いは長く続いたとされる。しかし紀元前338年、メッサピア人の都市マンドゥーリアの城壁の下で敗れ、戦死した。遠い異国の地での最期であった。ほかに、アゲシラオスという名の息子もいた。王位は子のアギス3世が継いだ。
同じ年に亡くなった人物
- アルタクセルクセス3世 (紀元前338年没)
- 商鞅 (紀元前338年没)
- 孝公 (秦) (紀元前338年没)
- アテアス (紀元前338)
- イソクラテス (紀元前338年没)
同じ地域に関係する人物
- フィリッポ2世 (ターラント公) (1373年没)
- パクウィウス (紀元前129)
- コルメラ (70年没)
- ジャック・デ・ボー (1383年没)
- ピエール・ショデルロ・ド・ラクロ (1803年没)