伝記
カエサリアのドロテアは、4世紀に処刑された殉教者で、カトリック教会と正教会の聖人である。英語圏では聖ドロシーとも呼ばれ、正教会では聖致命女ドロフェヤと表記される。311年2月6日に、カエサレア・マザカで処刑されたとされ、記念日は2月6日である。ディオクレティアヌスの退位後に殉教したが、ディオクレティアヌスによる最後の大迫害の殉教者に数えられている。しばしばアレクサンドリアのドロテアと混同される。
彼女の言行や歴史的な実在を裏づけるものは、ほとんど残っていない。ドロテアとテオフィロスは『ローマ殉教史』にカッパドキアのカエサリアの殉教者として記録され、正式な聖人とされた。しかし聖人伝以外では実在を証明できないため、1969年以降、カトリック教会の一般の聖人暦には載っていない。ただし、一部の地域の暦や、トレント式の暦には祝日が残っている。最も古い記述は『ヒエロニムスの殉教者伝』にあり、そこには殉教の日、その場所、名前とテオフィロスとの出来事という三つの基本的な事柄が記されているだけである。
伝承によれば、311年2月6日、童貞殉教者ドロテアはカッパドキアのカエサレアで、ディオクレティアヌスによる迫害のために殉教した。彼女は県知事の前に連れ出され、信仰を試されて拷問を受けたのち、死刑を宣告された。刑場に向かう途中、非キリスト教徒の法律家テオフィロスが、嘲笑しながら「キリストの花嫁よ、花婿の庭からいくつか果物を私に持ってきてみるがいい」と言った。処刑の前に6歳の男の子が現れ、彼女のヘッドドレスは果物と天上のバラの香りで満たされた。ドロテアはそれをテオフィロスに送った。テオフィロスはその場でキリストへの信仰を告白し、拷問台にかけられて殉教したという。これが最も古い形の聖人伝で、様々な形に広まる元になったとされる。
西方教会では7世紀から崇敬されてきた。14世紀頃から、多くの有名な芸術家が絵画や彫刻に描いた。天使や花の花輪で表され、しばしば果物や花、特にバラの花籠を持ち、バラの冠をかぶった乙女の姿をとる。処刑の前にひざまずく姿や、果樹園でりんごの木の下に幼子キリストと並ぶ姿、幼子キリストと手をつなぐ姿などもある。園芸の守護聖人として知られ、祝日の2月6日には木が祝福される地域がある。醸造家、花嫁、新婚夫婦、花屋、助産師の守護聖人ともされ、イタリアのペーシャの村の守護聖人でもある。後期中世のスウェーデンでは十四人救難聖人に続く十五番目の聖人とされた。ドロテアにちなむ「聖ドロテア修道女会」は主に教育に携わり、その生涯と殉教は、1622年に出版されたマッシンジャーとデッカーの戯曲『処女殉教者』の基礎となった。
同じ年に亡くなった人物
- ガレリウス (311年没)
- ルキウス・ドミティウス・アレクサンドロス (311年)
- ディオクレティアヌス (311年没)
- ペトロス1世 (311年没)
同じ地域に関係する人物
- ガギク2世 (1076年没)
- 聖ママス (275年没)
- メルクリウス (250年没)
- ジャザリー (1206年没)
- アレクサンドリアのクレメンス (215年没)