伝記
アル=ジャザリーは、一一三六年に生まれ、一二〇六年ごろまで生きたとされる、現在のトルコのディヤルバクル出身の技術者である。発明家、機械工学者、職人、芸術家、数学者、天文学者などさまざまな肩書きで呼ばれ、出自はアラブ人ともクルド人ともペルシア人とも言われて定まらない。生涯についてはほとんど記録がなく、その人となりは、一二〇六年の著書『巧妙な機械装置に関する知識の書』の序文からうかがうしかない。名は生誕地とされるジャズィーラ地方、すなわちチグリス川とユーフラテス川にはさまれたメソポタミア北部に由来する。
ジャザリーは、モースルのザンギー朝の諸侯としてアナトリア東部を治めたトルコ系のアルトゥク朝(この王朝はのちにアイユーブ朝のサラーフッディーンに仕えたとされる)の、ディヤルバクルにある宮殿で、父のあとを継いで技師長を務めた。職人の伝統を受け継いだ人で、発明家というより技術者の性格が強く、機械は理論的な計算ではなく試行錯誤で組み立てることが多かったとされる。著書には自分で実際に組み立てた装置だけを載せたと繰り返し述べており、多数の写本が見つかっていることから人気があったと考えられる。その文体は今日の日曜大工の指南書に似ているとする研究者もいる。書物には五十の機械装置の詳細と組み立て方が解説されている。
技術の面では、カムシャフトが文献に現れる最初期の例が一二〇六年の彼の著作とされ、オートマタや水時計、揚水機の部品に使われた。ヨーロッパでカムが機構として使われるのは十四世紀からである。二つのシリンダーをクランクとコネクティングロッドで軸につないだポンプの記述も、世界初のクランクシャフトの例とされる。連続した円運動を直線の往復運動に変える仕組みは、のちに蒸気機関や内燃機関でも中心的な働きをする。ジャザリーは水をくみ上げる機械を五種類考案し、これらに最も力を入れていたという。水車で動く二つのピストンの吸い上げポンプは、吸引管を使い複式の原理を応用した点で注目される。ただ、当時の水汲み水車より効率がよいわけではなかったとも指摘される。十三世紀のダマスカスでは、水力と歯車を使った給水網でモスクや病院に水を送ったとされる。
オートマタの数々も有名である。水力で動くクジャクや自動で開閉する門、飲み物を注いで給仕する人形、水洗機構を備えた手洗い人形、石けんとタオルを差し出す召使の人形付きのクジャク噴水などを設計した。ボートに乗った四体の楽士人形は、ペグの位置を変えることで違うリズムを奏でる仕組みで、プログラムできる機構の初期の例と評される。ブリタニカ百科事典は、レオナルド・ダ・ヴィンチがそのオートマタに影響を受けたとしている。
時計にも独創があり、水力で動く筆記者時計は高さ約一メートル、幅約五十センチで、文字盤の中心の筆記者の人形がペンで時刻を指し、これは一九七六年にサイエンス・ミュージアムで再現された。ろうそく時計には世界初のバヨネット式の装着機構が使われたという。象の形をした水時計は、一定時間ののち人形がシンバルをたたき、鳥がさえずり、季節で変わる時間の長さも正確に記録したとされる。最大の城時計は高さが約三・四メートルで、黄道十二星座や太陽と月の軌道、月の満ち欠けを示し、五体の楽士人形が音楽を演奏した。著書の細密画は中世イスラム美術の一つとして評価されている。
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