伝記
エデッサのトロスは、第一回十字軍の時代に同市を治めていたアルメニア人の支配者である。ヘトゥムの子とされ、父はアルメニアの有力なパフラヴニ家につながるともいわれる。トロスはかつてビザンツ帝国の軍に仕え、クーロパラテースの称号を持ち、将軍フィラレトス・ブラカミオスの配下にあった。メリテネの支配者ガブリエルの娘婿ともされる。アルメニア人でありながらギリシア正教を信奉しており、エデッサのアルメニア人住民からは広く支持されていなかった。
一〇九四年ごろ、ダマスカスのセルジューク朝君主トゥトゥシュがエデッサを占領すると、トロスを総督に据えた。トロスはただちに、自ら市を支配してセルジューク朝から独立しようとした。市の防備を固め、トルコ人とアルメニア人の守備隊が置かれた内城を市街から切り離した。これに対してトルコ人やアルトゥク家の軍が二か月にわたって包囲した。包囲軍は城壁を破ることまでできたが、市の攻略には至らず退いた。その後、トロスは市の領主として認められ、セルジューク勢力からの攻撃に抵抗した。
一〇九八年になると、アンティオキアを包囲していた十字軍に援助を求めた。これに応じたのがブローニュのボードゥアンである。ボードゥアンはトゥルベッセルを攻略した後にエデッサへ来ており、独自の領土を求めていたとも考えられている。トロスは同年二月に彼を招き、同盟を結んだ。しかしボードゥアンはさらに強い権限を要求し、認められなければ去ってアンティオキアの軍に合流すると迫った。トロスは最終的に、彼を養子として後継者に定めることを受け入れた。
その後、ボードゥアンはトロスに忠実な役人たちを攻撃し、トロスを内城に包囲した。トロスは市を譲り渡すことに同意し、家族を連れてメリテネへ逃れる計画を立てた。だが間もない三月九日、市のアルメニア人住民によって殺害された。ボードゥアンの指示だった可能性もいわれるが、殺害への関与は明らかではない。後を継いだボードゥアンはエデッサ伯を称し、同市の最初の十字軍の伯となった。
同じ年に亡くなった人物
- ボードゥアン2世 (エノー伯) (1098年没)
- ヤーギー・スィヤーン (1098年没)
- アデマール・ド・モンテイユ (1098年没)
- カイ・カーウース (1098年没)
同じ地域に関係する人物
- バルダイサン (222年没)
- テオドロス・アブー・クッラ (820年代没)
- マルクス・リキニウス・クラッスス (紀元前53年没)
- アッシュル・ウバリト2世 (紀元前600年代没)
- プブリウス・リキニウス・クラッスス (紀元前53年没)