伝記
テオドロス・アブー・クッラは、シリアがイスラーム時代に入って間もない9世紀に生きた、メルキト派(カルケドン派)キリスト教の主教であり神学者である。アラビア語で著作を書いたキリスト教徒のなかでも、最初期の人物のひとりとされる。アブー・ラーイタ・ティクリーティー、アンマール・バスリー、アブドゥルマスィーフ・キンディーらがこれに並ぶ。
西暦750年ごろ、現在のシャンルウルファにあたる町エデッサに生まれた。ハッラーンに近いこのエデッサで主教を務めたが、メルキト派アンティオキア教会の大主教がテオドレトであった795年から812年のあいだのいずれかの時点で主教を辞めている。確かな情報ではないが、シリア人ミカエルがテオドロスの主張に反発し、テオドレト大主教に異端の罪による罷免を求めたとされる。813年から817年のあいだには、バグラトゥニ朝アルメニアの宮廷で、当地の単性論者と論争した。
814年ごろにはアレクサンドリアを訪れた。その道中でシナイ半島に逗留し、アブル・トゥファイルという弟子のために『師匠と弟子の書』を書いた。816年ごろには、アリストテレスの作とされるギリシア語の著作『魂の徳について』をアラビア語に翻訳した。テオドロスは820年から825年のあいだのいずれかの年に亡くなった。
テオドロスは、カルケドン公会議で策定された教義を受け入れないキリスト教徒のほか、イスラーム教徒やユダヤ教徒からも頻繁に神学上の挑戦を受けており、これに対して自らの信仰の正しさを論じた。その著作には、イスラーム教神学の概念と用語を用いて伝統的なキリスト教の教義を明確にする記述が散見され、シドニー・グリフィスは彼を「キリスト教徒のムタカッリム」と形容するほどである。論じた主な問題は三位一体説、受肉説、機密であり、礼拝の方向についてはエルサレムやメッカを向かず東を向くべきだとし、十字架などへの崇敬も扱った。『司祭ムーサーの問い』の冒頭では、文明から切り離された山中で生まれ育った者が、宗教の真実を問うために麓の町へ下りてきたらという思考実験を行い、最重要の神学上の問題をカルケドン派の思想に沿って深めようとした。
その所論は、少なくとも一人のムゥタズィラ派のムタカッリム、841年没のイーサー・ブン・スバイヒ・ムルダールの注意を引いた。イブン・ナディームは『フィフリスト』で、ムルダールがアブー・クッラに反駁したと記している。テオドロスの著作はギリシア語にも翻訳されて、ビザンツ帝国領内でも回し読みされた。また、シリア語でも30編の論文を書いたとされるが、現在のところ、彼のものと同定されたシリア語論文は見つかっていない。著作は初期イスラーム国家のもとで生きたキリスト教徒の思想を知る重要な同時代史料であり、ドイツ語にはゲオルク・グラーフ、英語にはジョン・ラモローによる翻訳がある。
同じ年に亡くなった人物
- シャンカラ (820年)
- ムハンマド・ブン・イドリース・シャーフィイー (820年没)
- ヴェルフ1世 (アルトドルフ伯) (820年代没)
- 憲宗 (唐) (820年没)
- レオーン5世 (820年没)
同じ地域に関係する人物
- シリアのエフレム (373年没)
- クレオパトラ・セレネ1世 (紀元前69年没)
- Thaddeus of Edessa (50年没)
- クルチ・アルスラーン1世 (1107年没)
- マルクス・リキニウス・クラッスス (紀元前53年没)