伝記
ヒッポン(ヒッポ)は、紀元前5世紀に活動したとされる古代ギリシアのソクラテス以前の自然哲学者である。出身地ははっきりせず、レギオン、メタポンティオン、サモス、クロトンのいずれともいわれる。同じ名前の哲学者が複数いた可能性も指摘されており、サモスのヒッポンと呼ばれることもあれば、レギオンのヒッポンと呼ばれることもある。生涯についてはほとんど分かっていない。
アテナイとの関わりでは、喜劇詩人アリストファネスを通じて、ペリクレスの時代にアテナイで暮らし、教えていたと伝えられる。紀元前478年に教えていたとする説明もある。著作は失われたが、その書物は後の世代の学園の図書館に収められていたとされ、詩人たちにからかわれながらも、当時は学者としてかなり知られていたらしい。ピタゴラス派と結びつけられることもある。
思想の面では、タレスの流れをくむイオニア学派の最後期の哲学者の一人とみなされ、万物の根源を一つの原理に求める考えを受け継いだ。ただしタレスの水に代えて、湿り気を原理としたとされる。ヒッポリュトスによれば、水と火を根源の元素とし、火は水から生じ、やがて宇宙を生み出しながら自らを展開していくと考えた。シンプリキオスも、ヒッポンが水を万物の原理と考えたと述べている。
生物や医学への関心も強かったとされる。あらゆる生き物には適切な湿り気の量があり、それが釣り合いを失うと、とりわけ体の自然な湿り気が乾くと病気が起こると考えた。アリストテレスは、魂は湿ったものからできているという考えをヒッポンのものとした。ほかに植物や胎生学にも関心を向けたという。中世の古注には、天空は大地をおおうかまどのドームのようなものだと考えたとする記述もある。
一方で、アリストテレスはその思想が貧弱であるとして、ほかの大きな自然哲学者たちと同列に並べることを拒んだ。無神論の疑いもかけられ、喜劇詩人クラティノスは「パノプタイ」で不敬を非難した。著作が失われているため、なぜ疑われたのかは確かめられない。アレクサンドリアのクレメンスによれば、ヒッポンは自分の墓に刻むようにと二行の詩を命じたともいう。
同じ年に亡くなった人物
- カラミス (紀元前460)
- ギュリッポス (紀元前 460年(推定))
- Choerilus of Samos (紀元前460)
- パラシオス (紀元前460)
- Paeonius (紀元前460)
同じ地域に関係する人物
- レオンティウス・ピラトゥス (1365年没)
- シュラクサイのカリッポス (紀元前301)
- アナクシラス (紀元前476年没)
- Philistion of Locri (紀元前400)
- スクリボニア (16年没)