伝記
アナクシラスは、クレティネスの息子で、イタリア半島南端のレギオン(現在のレッジョ・ディ・カラブリア)の僭主である。ペロポネソス半島のメッシニアの出身とされ、レギオンの歴代の王はアナクシラスに至るまでメッセニア人だったといわれる。レギオンの城塞を奪って僭主となり、その地位を生涯保ったとされ、統治は18年に及んだともいう。
紀元前494年、アナクシラスは、僭主スキテスが支配する海峡の対岸の都市ザンクル(現在のメッシーナ)を、サモス人などイオニアからの亡命者が奪うのを後押しした。ところがサモス人がザンクルを占領してまもなく、アナクシラス自身が市を包囲してサモス人を追放し、新しい入植者を迎え入れ、自分の出身地にちなんでメッセネと改名した。二世紀の歴史家パウサニアスは、これとやや異なる話を伝えている。それによれば、スパルタとの二度目の戦争に敗れたメッシニアの難民を助けてザンクルを占領させたのだという。パウサニアスはこの出来事を紀元前664年のこととするが、近代の歴史家は誤りとみており、同名のレギオンの僭主が二人いて、どちらもザンクルを奪い改名したとは考えにくいことから、アナクシラスの味方はメッシニア人ではなく、メディア人から逃れてきたサモス人だったと考えている。
フランス語圏ではアナクシラス2世とも呼ばれる彼は、オリンピアの戦車競技で勝利したとされ、その勝利を記念して発行されたテトラドラクマ銀貨にはその姿が刻まれている。優勝の年は紀元前484年とも480年ともいわれる。
アナクシラスは、ヒメラの僭主テリルスの娘キディッペを妻にした。紀元前480年、アクラガスの僭主テロンに追放された義父テリルスのために、カルタゴの援助を取り付けることに成功した。この救援軍こそ、テロンとシュラクサイの僭主ゲロンがヒメラの戦いで打ち破った相手である。また、アナクシラスはロクリ人を打倒しようとしたが、エピカルモスによれば、ゲロンの後を継いだシュラクサイの僭主ヒエロン1世に阻まれた。アナクシラスの娘はそのヒエロンと結婚している。
アナクシラスは紀元前476年に世を去り、ミキトスを自分の幼い息子たちの後見人に定めた。ミキトスはもとアナクシラスに仕えた人物とされ、のちにテゲアで生涯を終え、息子の病気が治ったことへの感謝としてオリンピアに多くの奉納をしたと伝わる。しかしこの相続の体制は1年ほどしか続かず、レオフロンが僭主の座についたともいわれ、息子の名はレオフロンだとする伝えもある。そのレオフロンも、紀元前471年にはレギオンとメッセネの市民の反乱で追放された。
同じ年に亡くなった人物
- 敬王 (紀元前476年没)
同じ地域に関係する人物
- フランチェスコ・チレア (1950年没)
- レオンティウス・ピラトゥス (1365年没)
- シュラクサイのカリッポス (紀元前301)
- スクリボニア (16年没)
- Philistion of Locri (紀元前400)