伝記
アルケシラオス3世は、古代ギリシア人の植民市キュレネの第6代の王で、バットス家(バッティアダイ)の一員である。紀元前530年に父を継いで王となり、紀元前515年ごろ、キュレネから追われた亡命者たちに殺された。
父は第5代の王バットス3世、母は王妃ペレティメである。姉妹のラディケは、エジプトのファラオ、アマシス2世に嫁いだ。父方の祖父母は、王アルケシラオス2世と王妃エリュクソである。紀元前525年、エジプトを征服したばかりのペルシア王カンビュセス2世と同盟を結んだ。別の記述では、キュレネを取り戻したのちに、カンビュセスへ銀500ムナの貢ぎ物を贈って服従を示したとされる。エジプトと同じ運命をたどることを恐れたためだという。
ヘロドトスは彼の性格を「大変な騒ぎ屋」と評した。紀元前518年ごろ、亡き父と立法者デモナクスが導入したキュレネの国制改革を受け入れられなくなり、先祖伝来の王権の回復を求めた。母がこれを支持したが、続く内戦で敗れ、サモス島に逃れた。母はキプロス島サラミスの王エウエルトンの宮廷に逃れて兵を求めたが、断られた。サモスでアルケシラオスは、キュレネの土地を与えると約束して兵を集め、軍勢がそろうとデルフォイの神託をうかがいに行った。巫女は、彼の家が八世代にわたってキュレネの王位を保つこと、その間にバットスという名の王が四人、アルケシラオスという名の王が四人いることを告げ、それ以上の権力の維持は試みないよう勧めた。また市民の扱いには注意せよ、残酷にふるまえば彼らは敵に回ると戒めたが、アルケシラオスはこの忠告を無視した。
軍とともにキュレネに戻って権力を取り戻すと、政敵を追い払い、支持者には約束の土地を与えた。一方で、捕らえた反対派の一部をキプロスへ送って殺そうとしたが、乗せた船がクニドス近くで座礁し、クニドスの人々に助けられてテラへ送られたという。また、ある大地主アグロマコスの屋敷に逃げ込んだ反対派の周囲に薪を積み、火をつけたとも伝えられる。この行いのあとで、彼は神託の警告の意味を悟ったとされる。神託の死の予言から逃れようとして、キュレネの町に入ることを自ら禁じ、統治を母に託した。
反発を恐れて、神託の助言を無視したままキュレネを離れ、義父にあたるバルカの統治者アラジルのもとに身を寄せた。ところが、バルカの市場で義父とともにいたところを、キュレネの亡命者たちに見破られ、二人とも殺された。遺体は、キュレネの父方の祖先の墓の近くに葬られた。後を継いだのは母ペレティメで、紀元前515年に亡くなるまで統治した。その後は、アルケシラオスのただ一人の息子であるバットス4世が王位を継いだ。