伝記
マルクス・ユニウス・シラヌスは、14年に生まれ54年に没した古代ローマの元老院議員である。46年の執政官を務め、アジア属州の総督にも就いたが、皇帝クラウディウスの死の直後に毒殺された。皇帝家の血を引くがゆえに、帝位をめぐる争いの犠牲となった人物である。
父は19年の執政官を務めたマルクス・ユニウス・シラヌス・トルクァトゥス、母はアエミリア・レピダで、シラヌスはその長男だった。母は初代皇帝アウグストゥスの曾孫にあたる。したがってシラヌスは皇帝家の一員として、帝位継承の有力な候補とも見なされうる立場にあった。生まれた年は、玄孫にあたるアウグストゥスが世を去った年と同じである。クラウディウス帝は46年、シラヌスに執政官の位を与えた。同僚の執政官はデキムス・ウァレリウス・アシアティクスだった。その後シラヌスはアジア属州の総督(前執政官格の総督)も務めている。しかし彼は、このクラウディウスの死を生き延びられなかった。
シラヌスの弟ルキウス・ユニウス・シラヌス・トルクァトゥスは法務官だったが、アグリッピナが広めた噂によって、姉ユニア・カルウィナとの近親相姦に関わったと見なされた。ルキウスは自殺に追い込まれ、カルウィナは追放された。歴史家タキトゥスによれば、54年にアグリッピナは、シラヌスがこの弟の死の復讐を企てるのを恐れた。シラヌスの死は「新しい帝政の最初の犯罪」と呼ばれる。タキトゥスはネロにはこの死の責任はないとし、実行の設計者はネロの母アグリッピナだったと描く。クラウディウスの場合と同様、手段は毒だった。ディオ・カッシウスの『ローマ史』の抄録者は、アグリッピナがクラウディウスに盛ったのと同じ毒をシラヌスに送ったと伝える。タキトゥスによれば、毒を与えたのは騎士身分のプブリウス・ケレリウスで、解放奴隷ヘリオスが手を貸した。毒は食事に混ぜられたともいわれる。二人は公然とこの犯行を行い、のちにアジア属州がケレリウスを告発した。ところがタキトゥスによれば、ネロは訴追を引き延ばさせ、ケレリウスは老齢で死ぬまで裁かれなかったという。
シラヌスの息子ルキウス・ユニウス・シラヌス・トルクァトゥスは、タキトゥスが「節度ある若者」と呼んだ人物である。父と同じ理由で脅威と見なされ、密告者たちがやがて彼とその叔母ユニア・レピダが魔術の儀式と近親相姦に関わったという陰謀を作り上げた。ルキウスはバリへ追放されたが、百人隊長と数人の兵士に襲われた。静脈を切るよう勧められても従わず、素手で戦って死んだとされる。タキトゥスは、百人隊長がついに剣で彼を刺し貫かねばならず、致命傷は体の前面にあったと記している。
同じ年に亡くなった人物
- カタラクス (54年)
同じ地域に関係する人物
- ヨハネス6世カンタクゼノス (1383年没)
- アリストン (スパルタ王) (紀元前515年没)
- イェホシュア・ベン・シモン2世 (紀元前200)
- メガロポリスのフィロポイメン (紀元前183年没)
- テュルタイオス (紀元前700)