伝記
アリストンは、スパルタのエウリュポン朝の王である。先王アガシクレスの子で、アギス朝の王アナクサンドリデス2世と同時代の人にあたる。在位は紀元前550年ごろから紀元前515年までとされるが、紀元前560年ごろから紀元前510年を少し過ぎるころまでともいわれ、史料によって幅がある。ヘロドトスとパウサニアスが主な伝承の出どころで、軍事や政治での働きについてはほとんど伝わっていない。そのなかでスパルタは長くテゲアと戦争を続けていたが、アリストンと共同統治者アナクサンドリデス2世の代になって、テゲアに対し優位に立つことができたという。
アリストンの名を今に伝えているのは、結婚にまつわる逸話である。二度結婚したが、どちらの妻にも子が生まれなかった。そこで彼は、友人アゲトスの並はずれて美しい妻を手に入れようと考えた。互いに持ち物のなかから望むものを一つ与え合う約束をアゲトスと交わし、アゲトスが望みの品を受け取ったあと、その妻を要求したのである。アゲトスは拒もうとしたが、契約を結んでしまった以上は断りきれず、妻を奪われた。アリストンは二人目の妻を離縁し、アゲトスの元の妻を迎えた。
やがて生まれたのが、のちに王となるデマラトスである。しかし、誕生から数えると月数が足りなかったため、アリストンはエフォロス(監督官)たちの前で、この子は自分の子ではないと言い放った。ところが、まもなく発言を悔やみ、のちには意見を改めたとされる。妻は、妊娠が九か月とは限らないと説明したともいわれる。デマラトスの名は、国民が王に子ができるようにと祈願したことにちなむとされる。成長した息子をアリストンは我が子として愛し、死後はデマラトスがエウリュポン朝の王位を継いだ。
ただし、このときの発言は忘れられなかった。のちにアギス朝の王クレオメネスが、デマラトスの王位の正統性を争う際の根拠に用い、デマラトスの廃位につながったとされる。廃位ののち、デマラトスが母に実の父を尋ねると、母は、嫁いで三日目の夜にアリストンそっくりの男が現れて花冠を置いていったと答えたという。アリストンはそれを否定し、夫妻は近くの社の英雄アストラバコスだったのだろうと考えた。擬プルタルコスは、アリストンの言葉として、敵を味方にするほうが望ましいという言葉や、スパルタ人の数を問われて「敵を追い払うのに足りるだけ」と答えた話も伝えている。
同じ年に亡くなった人物
- ポリュクラテス (紀元前515年没)
同じ地域に関係する人物
- Polykleitos the Younger (紀元前360)
- エウダミダス3世 (紀元前228年没)
- Dimitrios Ypsilantis (1832年没)
- アゲシポリス3世 (紀元前183年没)
- イオアニス・カポディストリアス (1831年没)