伝記
マルガレーテ・フォン・ルクセンブルクは、1335年5月24日にプラハで生まれ、ハンガリー王ラヨシュ1世の最初の妃となった女性である。ボヘミアの王家の出身であることからマルガレーテ・フォン・ベーメンとも呼ばれ、ハンガリーではマルギトの名で知られる。父は、のちに神聖ローマ皇帝兼ボヘミア王となるカール4世、母はその最初の妃ブランシュ・ド・ヴァロワで、フランス王フィリップ6世の異母妹にあたる。マルガレーテは夫妻の長女であった。
1338年、2歳のマルガレーテはサヴォイア伯アメデーオ6世と婚約し、同年3月7日に契約が交わされたとされる。だがこの縁組は破棄され、アメデーオは彼女のいとこにあたるボンヌ・ド・ブルボンと結婚した。同じ1338年の3月1日、ヴィシェグラードで、父カールはハンガリー王カーロイ1世ロベルトとの間で協定を結んだ。ポーランドの継承を定めるとともに、それぞれの子であるマルガレーテとラヨシュを結婚させる約束であった。マルガレーテは同じ年にヴィシェグラードのハンガリー宮廷に移り、10年以上をそこで過ごしたとされる。
1342年7月8日、二人は共通の祖先ルドルフ1世をもつ血縁であったため、教皇クレメンス6世が結婚のための特例を出した。同月16日にカーロイ1世が没してラヨシュが王位につき、8月3日、ラヨシュはマルガレーテが11歳になったら結婚すると確認している。1345年8月の終わりごろにはカールがプラハでラヨシュと会い、両者の間のわだかまりを解いて結婚を早めることが決まったという。結婚の時期ははっきりせず、7歳だった1342年とも、1345年とも、1346年から1348年の間ともいわれる。ハンガリー王妃となったのは1346年か1348年からともされる。二人の間に子は生まれず、これは妃が幼かったためと考えられている。
1349年、マルガレーテはペストのためわずか14歳で亡くなった。没日は9月7日とされ、同年10月7日付のヴェネツィアの役人の手紙には、すでに亡くなった王妃として言及されている。母ブランシュは、その1年前に亡くなっていた。埋葬の場所ははっきりしないが、セーケシュフェヘールヴァールのバシリカに運ばれた可能性が高い。のちにポーランド王を兼ねたラヨシュは、1353年にボスニア太守の娘エリザベタ・コトロマニッチと再婚し、のちのハンガリー女王マーリアとポーランド女王ヤドヴィガをもうけた。マーリアと結婚してハンガリー王となったジギスムントは、マルガレーテの異母弟にあたる。父カールと4番目の妻エリーザベトの間には、同名の異母妹が1373年に生まれている。
同じ年に亡くなった人物
- フアン・マヌエル (1349年没)
- トーマス・ブラドワーディン (1349年)
- フアナ2世 (ナバラ女王) (1349年没)
- ジャウメ3世 (1349年)
- ハムドゥッラー・ムスタウフィー・カズヴィーニー (1349年没)
同じ地域に関係する人物
- テレーゼ・ブルンスヴィック (1861年没)
- ゲーザ1世 (ハンガリー王) (1077年没)
- Judit Agoston-Mendelenyi (2013年没)
- イシュトヴァーン5世 (ハンガリー王) (1272年没)
- ソコリ・アラヨス (1932年没)