伝記
ビアンカ・ディ・ボルゴーニャは、サヴォイア伯エドアルドの妃となったブルゴーニュ公家の公女である。フランス名はブランシュ・ド・ブルゴーニュといい、1288年ごろに生まれたとされるが、正確な生年は分かっていない。父はブルゴーニュ公ロベール2世、母はフランス王ルイ9世の末娘アニェスで、父方の祖父はブルゴーニュ公ユーグ4世にあたる。きょうだいには、フランス王ルイ10世の妃となったマルグリットと、フィリップ6世の妃となったジャンヌのほか、ブルゴーニュ公となったユーグ5世とウード、テサロニキ王の称号を持つルイらがいた。母方の祖父母はルイ9世とマルグリット・ド・プロヴァンスである。
1306年に父が亡くなると、母アニェスが娘の縁談をまとめた。相手は、サヴォイア伯アメデーオ5世の跡継ぎエドアルドであった。交渉はパリで王の近くで行われ、1307年9月27日に婚約が成った。ビアンカは19歳ほど、エドアルドは23歳であった。ビアンカは2万リーブルの持参金をたずさえ、伯はエドアルドを後継者とすることを約した。息子が生まれれば伯位を継ぎ、娘は継承から除かれるという取り決めも交わされた。二人は遠い親戚にあたるため教皇の特免を得て、翌月18日、ブルゴーニュのモンバール城で結婚式を挙げた。夫妻の子は娘ジョヴァンナ(ジャンヌ)1人だけであった。
1323年10月にアメデーオ5世が亡くなると、エドアルドがサヴォイア伯となり、ビアンカは伯爵夫人となった。伯爵夫人となった彼女が注文した時禱書は「サヴォイアの時禱書」と呼ばれ、いまはアメリカのイェール大学ベイネッケ図書館に収められている。1329年にエドアルドが亡くなったが、男子がいなかったため、弟アイモーネが伯位を継いだ。寡婦となったビアンカは新しい伯と寡婦産を交渉し、1330年2月8日に合意に達して、ブレス地方のブール、トレフォール、コリニーなどの町や城を受け取った。同じ1330年、娘のジョヴァンナはブルターニュ公ジャン3世の三番目の妃となり、持参金の一部としてリモージュ子爵領を得た。1333年5月には、ジャンヌの夫であるフランス王フィリップ6世から、パリのサン・マルソー郊外にあった、リヨン大司教ピエール・ド・サヴォワのものだったという家を与えられた。1329年から1339年のあいだ、ジョヴァンナは叔父アイモーネの継承に異を唱えて自らの権利を主張し、ヴィエノワの太子ギグ8世の支持を受けて争いとなったが、1339年に権利を放棄し、年6,000リーブルの年金を得ることで決着した。
ジョヴァンナは1344年6月29日に亡くなり、子はなかった。1346年と1347年に、ビアンカは甥のアメデーオ6世の宮廷での影響力を使い、ブルゴーニュとの同盟を続けさせた。これが背景となって、アメデーオ6世とフィリップ・ド・ブルゴーニュの娘ジャンヌとの婚約が一時成立した。
ビアンカは1348年7月に亡くなった。没日は18日、27日、28日のいずれかとされ、はっきりしない。60歳ほどで、死因は黒死病であったと考えられている。ディジョンのコルドリエ教会に、先に亡くなった娘のかたわらに葬られたとされる。
同じ年に亡くなった人物
- Laura de Noves (1348年)
- Bernardo Tolomei (1348年)
- 花園天皇 (1348年没)
- シャムスッディーン・ムハンマド・ザハビー (1348年)
- バルラーム (1348年)
同じ地域に関係する人物
- アラン・ド・リール (1203年没)
- ブルンヒルド (613年没)
- ジャンヌ1世 (オーヴェルニュ女伯) (1360年没)
- ロベール1世 (ブルゴーニュ公) (1076年没)
- ボンヌ・ダルトワ (1425年没)