伝記
ボンヌ・ダルトワは、1394年から1396年ごろに生まれた中世フランスの貴族女性である。ウー伯でフランス大元帥のフィリップ・ダルトワと、ベリー公ジャンの娘で、オーヴェルニュ女公の相続人でもあるマリーの長女である。ボンヌは両親の子のなかで3番目に生まれ、下から2番目にあたる。父方の祖父母はウー伯ジャン・ダルトワとイザベル・ド・メラン、母方の祖父母はベリー公ジャンとジャンヌ・ダルマニャックである。祖父ベリー公ジャンを通じて、フランス王ジャン2世の曾孫でもある。弟にフィリップとウー伯シャルル・ダルトワ、妹にカトリーヌがいた。
1397年、父フィリップはニコポリスの戦いのあとトルコ人の捕虜になり、アナトリアで死んだ。母マリーは1400年に、のちのブルボン公ジャン1世と再婚し、四人の子をもうけた。そのなかにのちのブルボン公シャルルと、モンパンシエ伯ルイがいる。ボンヌは叔母のジャンヌ・ダルトワのあとを継いで、ウダンの領主となった。1413年3月12日にパリで結婚契約が結ばれ、同じ年の6月20日、ボーモンで、ヌヴェール伯でルテル伯のフィリップと結婚した。フィリップは先妻イザベル・ド・クーシーと死別しており、ブルゴーニュ公ジャン無畏公の弟にあたる。この結婚は、カボシュの乱ののち、アルマニャック派とブルゴーニュ派の和解のしるしとみなされた。
夫のフィリップは、結婚からわずか2年後の1415年10月25日、アジャンクールの戦いで戦死した。ボンヌは二人の幼い息子とともに残された。長男のシャルルは1414年生まれ、次男のジャンは、クラムシーで、父の死の数日前に生まれた。シャルルがまだ未成年だったので、ボンヌは1415年から1424年までヌヴェールの摂政を務めた。1419年から1423年にかけて、ドゥシズにあるヌヴェール伯の城のなかに、コレット・ド・コルビーが改革した、クララ会の修道院を建てた。
1424年11月30日、ボンヌはムーラン=アンジルベールで、亡き夫の甥にあたるブルゴーニュ公フィリップ・ル・ボンと再婚した。公は1422年に先妻のフランス王女ミシェルと死別しており、二人とも再婚同士だった。しかし、ボンヌは翌年9月17日にディジョンで死去し、再婚から10カ月たたなかった。二人に子供はなかった。遺骸はシャンモルの修道院に葬られた。この死に際して、ブルゴーニュ宮廷の貴族で詩人のギヨーム・ド・ヴォードレは、哀歌を作った。ブルゴーニュ公は、のちにポルトガル王女イザベルを3番目の妻に迎えた。ボンヌの長男シャルルはヌヴェール伯となり、次男ジャンはエタンプ伯、ヌヴェール伯となった。
同じ年に亡くなった人物
- マヌエル2世パレオロゴス (1425年没)
- マーダヴァ (1425年没)
- ジャン・ド・ベタンクール (1425年没)
- マードック (1425年没)
- 洪熙帝 (1425年没)
同じ地域に関係する人物
- ステファン・ハーディング (1134年没)
- モレームのロベール (1111年没)
- アラン・ド・リール (1203年没)
- 三位一体のエリザベト (1906年没)
- ユーグ5世 (ブルゴーニュ公) (1315年没)