伝記
ジャンヌ1世は、1332年から1360年までオーヴェルニュ女伯とブローニュ女伯を務め、のちにフランス王ジャン2世の2度目の妃となった女性である。1326年5月8日に生まれ、父はオーヴェルニュ伯でブローニュ伯でもあったギヨーム12世、母はフランス王フィリップ4世の異母弟エヴルー伯ルイの娘マルグリット・デヴルーで、ナバラ王フェリペ3世の姉妹にあたる。ジャンヌは両親の一人娘であり、1332年に父が死ぬと、2つの伯領を相続した。
1338年、ブルゴーニュ公ウード4世の息子フィリップと結婚した。この結婚によって、フィリップはオーヴェルニュ伯の称号を得た。夫妻には1男2女が生まれた。長女ジャンヌは1344年に生まれ、サヴォイア伯アメデーオ6世と婚約したが破棄され、ポワシーの修道院で一生を過ごしたといわれる。次女マルグリットは1345年に生まれて夭逝した。1346年に生まれた長男もフィリップと名づけられた。同じ1346年、夫フィリップは世を去った。夫はブルゴーニュ公位を継ぐ前に先立ち、その後に姑と舅も亡くなったので、幼い息子フィリップが公位を継いだ。ジャンヌはこのとき2歳半の息子にかわって、その領地の摂政を務めた。
1350年2月、ジャンヌは又従兄にあたるジャン・ド・フランスと再婚した。再婚の日付は2月9日とも13日ともいわれる。ジャンは当時ノルマンディー公で、最初の妃ボンヌ・ド・リュクサンブールがペストで亡くなり、8人の子どもを残していた。このためジャンヌは男子を産むようにとの圧力をほとんど受けなかった。式はパリ近郊のフーシュロルにあったサント=ジェムの王城の礼拝堂で挙げられたとされる。この年のうちにジャンが国王ジャン2世となり、8月22日にジャンヌは王妃となった。ジャンヌの息子フィリップは王の被後見人となった。ジャンとの間には、1350年のブランシュ、1352年のカトリーヌ、1354年の男児が生まれたが、いずれも夭折した。
1358年、ジャンヌは自分と最初の夫フィリップの墓を、ディジョンのサント=シャペルのために注文している。1360年9月11日には、娘のジャンヌが死んだ。ジャンヌ自身も1360年9月29日、ペストの流行のなかで世を去った。死んだ場所はアルジー城とも、ポリニー近郊のヴァダン城ともいわれる。亡骸はサン=ドニ大聖堂に葬られたとされる。ジャンヌの持つ称号は息子フィリップが受け継いだが、このフィリップも1361年11月21日に世を去った。
同じ年に亡くなった人物
- ダヴィト9世 (ジョージア王) (1360年)
- ナウルーズ (ジョチ家) (1360年没)
- クルナ (ジョチ家) (1360年没)
- イスマーイール2世 (ナスル朝) (1360年没)
- サーリフ・サーリフ (1360年没)
同じ地域に関係する人物
- アラン・ド・リール (1203年没)
- マルグリット・ド・バヴィエール (1423年没)
- モレームのロベール (1111年没)
- ビアンカ・ディ・ボルゴーニャ (1348年没)
- ブルンヒルド (613年没)