伝記
プブリウス・テレンティウス・ウァッロ・アタキヌスは、古代ローマの黄金期に活動した詩人・翻訳者である。紀元前82年に生まれ、紀元前35年ごろに没したとされる。同時代の学者マルクス・テレンティウス・ウァッロ(レアテ出身のウァッロ)とはよく混同される。そのため、アタキヌスの作とされる作品のなかには、この学者の作が混ざっている可能性や、その逆の可能性があるといわれ、本人についてわかっていることは多くない。
生まれたのはローマの属州ガリア・ナルボネンシスで、首都ナルボンヌのあった南ガリアの地である。アタクス川(現在のオード川)のほとりで、アタキヌスという添え名は、この生まれ故郷を示すものである。ヒエロニュムスによれば紀元前82年の生まれで、35歳になってからギリシア文学の学習を始めたという。のちにはアウグストゥスの時代の著述家たちによく読まれ、同時代で最も名高い詩人の一人とされた。
作品は断片しか残っていない。最初期の作品は、紀元前58年にカエサルがアリオウィストゥスと戦った遠征を詠んだ詩『セクアニ戦記』と、風刺詩であった。これらはエンニウスの影響が強く、あまり注目されなかったという。風刺詩は、学者ウァッロのメニッポス風風刺詩と混同されないよう注意が必要である。ギリシア語を身につけてからは、カトゥルスらを含む新詩人(ネオテリコイ)の流れに加わり、ヘレニズム期の詩人を手本にした。地理を扱う教訓詩『コログラフィア』、アラトスにならった気象の兆しを詠む六歩格の詩『エペメリス』、恋人レウカディアに捧げた哀歌などがこの時期の作とされる。ほかに海戦を扱う長大な『海の書』や『エウロペ』も書いたといわれる。
最もよく知られるのは、ロドスのアポロニオスの叙事詩『アルゴナウティカ』をラテン語に訳した『アルゴナウタエ』である。よく読まれ、多く引用され、のちのウァレリウス・フラックスの同種の詩にも影響したとされる。オウィディウスはこれを称え、セネカ(父)はウェルギリウスが彼の表現を模したと指摘した。クインティリアヌスは彼を「他人の作の解釈者」と呼び、ウェレイウス・パテルクルスはアウグストゥス時代の大詩人たちと並べた。
断片のなかでは、『名士の墓』と題する警句が知られる。奴隷から解放された者リキヌスは大理石の墓に眠るのに、カトーには墓がなくポンペイウスには小さな墓しかないと対比させて詠み、神々の存在を疑う内容である。ただしこれが本当に彼の作かどうかは議論がある。保護者としてはキケロやカエサルの名が挙げられることもある。
同じ年に亡くなった人物
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