伝記
アキッラスは、プトレマイオス朝エジプトの王プトレマイオス13世に仕えた大臣であり将軍である。没年は紀元前47年とされる。王の後見人の一人で、王の軍の指揮官を務めた。宦官ポテイノスや家庭教師とともに、若い王の顧問の一人であった。
王は紀元前51年3月から、姉であり妻でもあるクレオパトラとともに共同統治者となっていた。紀元前49年に二人の対立が表面化し、紀元前48年の夏に頂点に達する。アキッラスは、クレオパトラを追放したプトレマイオスを支持した、あるいはむしろそれを促したとされる。
紀元前48年8月9日のファルサルスの戦いに敗れたポンペイウスは、同年9月にエジプトへ逃れ、ペルシオンの浜に上陸した。このとき王の軍を率いていたのがアキッラスである。宦官ポテイノスとキオスのテオドトスが、ポンペイウスの殺害を提案し、王もこれを認めたとされる。アキッラスは、元ローマ兵のルキウス・セプティミウスとともにこれを実行し、9月28日にポンペイウスを船の上で殺害させた。実行者たちは、首と指輪をカエサルに差し出せば、その歓心を得られると考えたという。しかしカエサルはこの野蛮な行為に憤り、ポンペイウスの遺体に葬儀を施した。一方で、カエサルはアキッラスを並外れた大胆さをもつ男と評している。
カエサルはエジプトにとどまり、父王の遺言にもとづいてプトレマイオスとクレオパトラを和解させようとしたが、プトレマイオスは武器を取ってカエサルに逆らった。ポテイノスはアキッラスと合流して抵抗し、全軍の指揮権をアキッラスに委ねた。アキッラスは歩兵2万と騎兵2千を率いてアレクサンドリアへ進軍した。カエサル側は兵力が不足しており、使節を送って交渉しようとしたが、アキッラスは和解の望みを断つために使節を殺害した。続いて市の大半を占領し、ファロス島での戦いでは、カエサルが泳いで逃げざるをえなくなったとされる。この間にアレクサンドリアの図書館が焼けたともいわれる。その後、プトレマイオスの異母妹で、クレオパトラに代わって王権に加えられていたアルシノエが、宦官ガニュメデスの助けでカエサルのもとを脱出し、アキッラスの軍に加わった。しかし両者のあいだに不和が生じ、紀元前47年、アルシノエはガニュメデスにアキッラスを殺させ、ガニュメデスに軍の指揮を任せた。
アキッラスは、後世の劇や小説にも登場する。ヘンデルのオペラ「ジュリオ・チェーザレ」ではバスの役で、史実にない三角関係に関わる。バーナード・ショーの戯曲「シーザーとクレオパトラ」や映画「クレオパトラ」にも登場し、テレビドラマ「ローマ」でも描かれた。ほかにも、ジョン・マドックス・ロバーツの小説『ムーサイの神殿』では主な敵役となり、スティーヴン・セイラーの小説でもポンペイウスを殺す人物として登場する。
同じ年に亡くなった人物
- クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ピウス・スキピオ・ナシカ (紀元前46年没)
- ユバ1世 (紀元前46年没)
- ルキウス・アフラニウス (紀元前46年没)
- Licinius Macer Calvus (紀元前46)
- プブリウス・コルネリウス・レントゥルス・スピンテル (紀元前 46年)
同じ地域に関係する人物
- Sotion (紀元前169)
- Patriarch Sophronius III of Constantinople (1899年没)
- カリマコス (紀元前240年没)
- フサイン・デイ (1838年没)
- メレティオス (メタクサキス) (1935年没)