伝記
アリックス・ド・メラニーは、ブルゴーニュ女伯であり、のちにサヴォイア伯フィリッポ1世の妃となった女性である。アデライード・ド・ブルゴーニュの名でも呼ばれ、1218年ごろに生まれた。父はメラニー公でブルゴーニュ伯の夫でもあったオトン1世、母はブルゴーニュ女伯ベアトリス2世で、アリックスは五女にあたる。父は後にソフィー・ダンハルトと再婚したが、1234年にその間の子なく世を去り、先妻の子である兄のオトン3世が家督を継いだ。
アリックスは、ブルゴーニュ伯家の傍系にあたるシャロン家のユーグと結婚した。夫はサラン伯ユーグ3世とも呼ばれ、かつてブルゴーニュ伯位を保持した家の男系子孫であった。結婚の時期は1239年ごろとも、契約が結ばれた1236年ともされる。この縁談は、シャロン伯ジャンが息子を伯家の娘に結びつけようとして進めたもので、1227年に交渉が始まり、1231年に父が娘の一人をユーグに嫁がせると約束して決着した。二人のあいだには、オトン4世、ルノー、ギヨンヌ、ユーグ、イッポリト、エリザベートらが生まれた。
1248年、兄のオトン3世が跡継ぎのないまま毒殺されて世を去った。アリックスは五女で本来は継承順が遠かったが、姉妹たちは帝国に近すぎるとして早々に退けられた。彼女にはこの地に暮らし、土地の言葉を話し、夫がブルゴーニュ伯の二つの家系を引いているという強みがあり、ブルゴーニュ女伯となった。統治では夫と、とりわけ舅のシャロン伯が大きな役割を果たしたとされ、帝国がブルゴーニュ伯領への主従関係を取り戻そうとするのを抑えることになった。アリックス自身も、神聖ローマ皇帝ルドルフ1世と対立した。年上の姉たちも、やがて相次いで継承権を放棄した。
1266年に夫が、翌1267年に舅が世を去り、アリックスは皇帝に独りで向き合うことになった。ブルゴーニュ公が伯領を公領に併合しようとしていたこともあり、サヴォイア家との結びつきで新たな庇護を得ようとしたとみられる。1267年6月11日、ローザンヌで元リヨン大司教のフィリッポと再婚した。フィリッポは翌年、兄の跡を継いでサヴォイア伯となった。この結婚で子は生まれなかったため、先の結婚で生まれた長男オトン4世がブルゴーニュを保つ余地が残された。1270年ごろには、ユンベール・ド・ラ・トゥール・デュ・パンの所領に対する宗主権を得ようと試みた。
アリックスはサランで遺言を作り、息子のオトンをブルゴーニュ伯領の継承者と定めた。1279年3月8日、サヴォイア伯領にあるレマン湖畔のエヴィアンで死去し、遺体はブザンソン近郊のシェルリュー修道院の教会の大祭壇の前に葬られた。ブルゴーニュ伯位はオトン4世が継いだ。
同じ年に亡くなった人物
- アフォンソ3世 (ポルトガル王) (1279年没)
- バーンムアン (1279年)
- ボレスワフ・ポボジュヌィ (1279年没)
- ボレスワフ5世 (1279年没)
- アルブレヒト1世 (ブラウンシュヴァイク公) (1279年没)
同じ地域に関係する人物
- リゼロッテ・ランドベック (2013年没)
- オスカー・クルマン (1999年没)
- マリー・ド・ブルゴーニュ (1386-1422) (1422年没)
- マリーア・ジョゼ・デル・ベルジョ (2001年没)
- Alina Szapocznikow (1973年没)