HISTORICAL PERSON · 1100年代没

アルベリック

シトー会創設者の一人。2代目シトー修道院院長となり、教皇直属の特権を得てシトー会最初の石造教会を建設し、白い修道服を採用した。

生涯
1100年代没
死亡地
フランス共和国(コート=ドール県 / シトー修道院)
出生地
フランス共和国(ブルゴーニュ地域圏)
出典
世界地図
フランス共和国(コート=ドール県)

伝記

アルベリックは、フランスの修道士で、シトー会の創設に加わった一人である。生年や若年期の詳しい足取りは分かっていない。ブルゴーニュのレーニュ近く、コランの森で隠修生活を送り、他の五人の隠修士とともに、ベネディクトの戒律を厳密に守る共同体を作ろうとロベールを招いた。1075年、ロベールは彼らをモレームの森へ導き、修道院を創設した。ロベールが院長、アルベリックがその補佐役を務めた。ところが修道院の名が広まると寄進が集まり、豊かさに引かれて戒律を厳しく守らない修道士も入るようになった。共同体の内には対立が生じ、ロベールとアルベリックに従わない者たちが現れた。

ロベールは二度、修道院を離れて隠修生活に戻り、そのつど教皇の命令で帰還した。その留守中の一度には、修道士たちが自由に振る舞うため、アルベリックを閉じ込めたこともあった。1093年、アルベリックはロベールやステファン・ハーディングとともに、再びモレームを去った。ラングル司教から戻るよう求められて従ったが、共同体の生活を改めることはできなかった。1098年、厳格な生活を求める修道士たちは新たな場所へ移り、ディジョン近くの森にシトー修道院を開いた。当初はロベールが院長、アルベリックが補佐役であった。しかしモレーム側がロベールの帰還を願い、ベネディクトの戒律に従うと誓ったため、ロベールは元の修道院へ戻ることになった。

アルベリックはロベールの後を継ぎ、シトーの第二代院長となった。就任は1099年とも1100年ともされる。1100年ごろには教皇パスカリス2世から特権状を得て、共同体を教皇の直接の保護下に置いた。修道院の建物を約1キロメートル北へ移すことを決め、新しい教会堂の建設にも取りかかった。共同体ではベネディクトの戒律の遵守を徹底し、昼夜の祈りを守れるよう、主に労働や物質的な仕事を担う助修士を加えた。アルベリックが定めたとされる『習慣規則』には、礼拝の形式と修道士・助修士の生活が規定されている。学問にも通じ、その名声を慕って貴族出身の知識人たちが入会を望んだと伝えられる。

在任中には、シトー会を特徴づける白い修道服も採用された。聖母マリアが現れて白い服を示したという伝説があり、聖人画でも白い頭巾がアルベリックを表すしるしとなった。1106年にはブルゴーニュ公の援助を受け、シトーの最初の石造教会堂が完成した。聖母に献げられたこの聖堂に続き、シトー会の聖堂を聖母に献げる慣習が受け継がれた。アルベリックは1109年、あるいは1108年の1月26日に死去した。後に聖人として崇敬され、ロベール、ステファン・ハーディングとともに1月26日に記念される。

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