伝記
レオンティ・ムロヴェリは、11世紀のジョージアで活動した年代記作家であり、ルイシの主教だったと考えられる。ムロヴェリは姓ではなく、この主教職に由来する呼び名で、ルイシのレオンティとも呼ばれる。生年や出自の詳しい事情は明らかではない。かつては8世紀、あるいは10世紀初頭の人物とする説もあったが、11世紀の聖職者とみる理解が有力である。1066年にはジョージア中部のトレフヴィでその名が知られ、この年からルイシの主教職にあったともされる。アトス山のジョージア語写本の伝承にも、同名のルイシの高位聖職者が現れる。その活動は、教会の職務とジョージアの過去を記す営みの双方に結びついていた。
レオンティには、『カルトリス・ツホヴレバ』という年代記集成の前半を形づくる複数の著作が帰される。その一つ『カルトヴェリ人の王たちの生涯』は、イベリアの伝説的な起源からミリアン3世の時代までを扱い、王家の系譜を数多く織り込みながら歴史を連続した物語として描く。聖ニノを扱う著作では、その生涯とミリアン3世の改宗が語られる。また『アルチルの殉教』は、8世紀の王アルチルの殉教を主題とするものである。これらの著作をレオンティ自身の執筆とみる立場がある一方、先行する文章を集めて編成した人物だったとする見方もある。いずれの理解に立っても、その名は王たちの歴史と聖人の物語を含む年代記群に結びついている。
晩年の足取りや正確な没年は分からない。1103年、ダヴィト4世がルイシと隣接するウルブニシの聖堂で教会会議を招集した時点では、すでにルイシの主教職を離れていたとされる。18世紀になると、王族ヴァフシティ・バグラティオニと歴史家たちの委員会が、レオンティに帰される著作群を用いて『カルトリス・ツホヴレバ』前半部を編纂した。さらにマリー=フェリシテ・ブロッセがその前半をフランス語に訳して編集し、『ジョージア史』に収めた。レオンティの歴史叙述は、ジョージア語の文学が教会中心の主題から世俗の歴史へと重心を移すうえで役割を果たしたと評価されている。
後の研究では、著作の成立だけでなく、その年代体系も検討の対象となった。スティーヴン・ラップは文章内部の語彙を分析し、レオンティを、8世紀ごろの著作を利用した編纂者と捉えた。一方、王たちの叙述に見られる年次には、ローマ、ギリシャ、アルメニア、アラブの歴史との対応をつけにくいものがある。たとえばパルナヴァズ1世の治世は65年、その子は75年、孫は50年とされ、60歳を過ぎて子をもうける系譜も現れる。さらに639年から786年までの147年間を3世代で結ぶ一方、別の時代には5世代が74年間に収まるという問題もある。長い三世代の例は、ステファノス2世からアルチル、ジュアンシェルに至る諸公の系譜である。短い五世代の例では、1世紀の二つの王統が並行して継承を重ねており、これらの在位期間には大きな開きが認められる。キリル・トゥマノフはこの年代体系を広く用いたが、自らも二頭政治やバグラティオニ家の即位年代、8世紀の諸公の年代に疑問を示した。その体系への依拠が強すぎるとの批判も、後の研究者から出された。
同じ年に亡くなった人物
- Ibn Jazla (1100年没)
- クレメンス3世 (対立教皇) (1100年没)
- アルベリック (1100年代没)
- エドマンド・オブ・スコットランド (1100年)
- ボージャ王 (1100年没)
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