伝記
アブル・ワファー・ブーズジャーニーは、10世紀のブワイフ朝時代のイラクで活躍したペルシアの数学者、天文学者である。生年は940年とされるが939年ともいわれ、没年は997年または998年で、バグダードで没したともいわれる。日本語では、アブル・ウワファ・ブーズジャーニなどと表記されることもある。人名の読みは、正則アラビア語に基づけばアブー・アル=ワファーなどとするのがより正確とされる。出身地名を示す「ブーズジャーニー」は、生地ブーズガーンのアラビア語形にあたる。
生まれたのは、イラン東部ホラーサーン地方のニーシャープール近くにあるブーズガーンである。若いころは叔父たちのもとで数学を学んだという。959年、イラクとイラン西部を領有していたブワイフ朝の君主アドゥドゥッダウラの支配下にあったバグダードに移り、その後はほぼ生涯をそこで過ごした。アドゥドゥッダウラとその子シャラフッダウラの治世に、バグダードは重要な文化の中心となっていた。宮廷に迎えられた彼は、クーヒーやスィジズィーとともに天文学者として活動し、シャラフッダウラ(在位987年から989年)のもとで、バグダードの天文台で活躍したと伝えられている。
天文学では、月の運動に関心を持った。バグダードで月食を観測し、同じ時にカースにいたビールーニーも観測したため、二つの都市の経度の差を正確に求められたという。当時の月の表を修正し、のちにティコ・ブラーエが第三の変差と呼ぶことになる現象を明らかにしたとも述べられている。星の偏角を精密に測るために象限儀を考案したとされる。
数学の分野では、ギリシア科学文献の翻訳と注釈で知られる。エウクレイデス、アレクサンドリアのディオファントス、フワーリズミーなどの著作に注釈を加えたが、これらの注釈は失われた。特にプトレマイオスの『アルマゲスト』の翻訳者として後世に名を残した。『アルマゲスト』を見直した書では、それまでの三角関数表を補い、タンジェントについての表を整えた。三角法の研究にも取り組み、多くの三角関数の表を求める方法や、タンジェントの概念を導入し、正弦の加法定理や倍角の公式などを明らかにした。単位円、セカントやコセカントの考え方も彼によるとされ、球面三角法の正弦定理も彼の業績と見られている。しかし、三角法についての多くの著書は現在では失われている。
幾何学では、職人のための幾何学的作図を集めた書を著した。約100の作図を集めたもので、正5角形、7角形、9角形の近似的な作図や、開きを変えないコンパスによる作図、放物線の作図などを扱う。角の三等分や立方体の倍積の機械的な作図、正方形をいくつかの正方形の和に分割する問題にも取り組んだ。ピタゴラスの定理を職人に説明するために、図形を切り分ける証明を用いたという。この書の作図は、ルネサンス期の数学書にある作図とよく似ているが、独立に見いだされた可能性もあるため決め手とはされず、ラテン語圏のヨーロッパへの伝わり方は今も議論されている。会計士や商人に必要な算術についての書も著している。月面のアブル・ウワファクレーターは、彼にちなんで命名された。
同じ年に亡くなった人物
- ドゥナシュ・ベン・ラブラート (990年)
- サブク・ティギーン (990年代没)
- ハインリヒ・フォン・シュパイアー (990年代没)
- イブン・ナディーム (990年没)
- スムバト2世 (990年(推定))
同じ地域に関係する人物
- ガートルード・ベル (1926年没)
- Izz al-Din ibn Hibatullah ibn Abi l-Hadid (1258年没)
- アルダシール3世 (630年没)
- ヤークート・ムスタアスィミー (1298年没)
- ハッラージュ (922年没)