伝記
イブン・フィルナースは、9世紀のイベリア半島、すなわちアンダルスの後ウマイヤ朝に仕えた知識人である。西暦810年に生まれ、887年に没したとされる。詳しい名はアブル・カースィム・アッバース・ブン・フィルナースといい、後世のヨーロッパ人からはアフェルナスなどのラテン名でも言及された。宮廷詩人であったが、詩や音楽よりも医術や工芸に秀でていたとされ、現代では、史上初の飛行の試みを行った人物として広く知られている。
出身地は、現在のスペインのロンダの周辺にあたるタークルンナーのクーラと考えられている。名前の系譜からは、彼がベルベル系の改宗者(マウラー)であったことがうかがえ、父祖は最初のイスラーム軍によるイベリア半島征服に従って北アフリカから渡ってきたベルベル人であったと推定される。彼はハカム1世、アブドゥッラフマーン2世、ムハンマド1世の三代のアミールに、コルドバの宮廷で仕えた。長らく名前と没年ぐらいしか知られていなかったが、11世紀のアンダルスの歴史家の書が再発見されたことで、その強烈な個性が明らかになったという。19世紀中ごろの1840年には、17世紀北アフリカの歴史家マッカリーの著作が初めて校訂本として出版され、西洋の言語に翻訳された。
ただしその評価は一様ではない。20世紀の科学技術史の専門家は、彼を詩人としては下手で、音楽も他人から教わる段階にとどまると書いている。一方で技術や工芸に関しては奇抜な発想の持ち主であったとされ、没後およそ750年を経たマッカリーの書には、いくつもの逸話が紹介されている。それによると、石ころからガラスをつくる方法を発見し、一種のメトロノームを作った。ガラスに関する記述は、水晶を磨いて原始的な凸レンズを作ったことを指すと解釈する学者もいる。また水時計を設計し、石英を切断する方法を開発したため、水晶を切るためにスペインからエジプトへ送る必要がなくなったともいわれる。さらに自邸には星や雲を見せる部屋を設け、見学者は床下の仕掛けによる雷鳴や稲光に驚いたという。天体の動きを示す装置や、インド起源の天文表を使ったともされるが、どのように雷や天気を再現したのかは分からない。
飛行についての話は、伝えによって内容が異なる。875年、65歳のとき、彼は木の骨組みに絹の布を張り、猛禽の羽根で飾った翼を作って、コルドバ近郊の「花嫁の山」から飛び立ったとされる。多くの見物人の前で、しばらく空中に留まった後に墜落し、臀部を痛めた、あるいは両脚を折ったとも伝わる。失敗の理由は、鳥が着地するときの尾の働きに注意を払わず、尾を付け忘れたためと評された。852年にコルドバの塔から大きな布を広げて跳び、短い距離を飛んだとする話もあるが、この跳躍をアルメン・フィルマンという人物のものとする説もあり、確かなことは分からない。
彼は最初の飛行から12年ほど後の887年に、77歳で世を去った。死ぬまで背中の痛みに悩まされたと伝えられる。その名は今もイスラーム世界で広く語られ、月の裏側のクレーター、イラクのバグダード北部の空港、コルドバのグアダルキビール川に架かる橋などにちなまれ、リビアでは肖像の切手も出された。
同じ年に亡くなった人物
- ジョヴァンニ・パルテチパツィオ2世 (887年)
- 光孝天皇 (887年没)
- ピエトロ・カンディアーノ1世 (887年)
- ボソ (プロヴァンス王) (887年没)
同じ地域に関係する人物
- エウロギウス (859年没)
- メロバウデス (500年没)
- ワッラーダ (1091年没)
- アブド・アッラフマーン・サンチュエロ (1009年没)
- Ermengol I (1010年没)