伝記
グレンダ・ジャクソン(1936年5月9日 - 2023年6月15日)は、イギリスの女優、政治家である。アカデミー賞を2度、エミー賞を3度、トニー賞を1度受けた。女優として名を成したのち、23年にわたって下院議員も務めた。
リバプール近郊マージーサイドのバーケンヘッドで、煉瓦職人ハリーの長女として生まれた。母ジョーンは店で働き、パブで酒をつぎ、家の掃除の仕事もした。名は母がハリウッド女優のグレンダ・ファレルにちなんでつけたという。生まれて間もなく一家はホイレイクに移り、貧しい暮らしを送った。ハリーは第二次世界大戦中の6年間、掃海艇に乗り組んで家をほとんど空けていた。4姉妹の長女だったグレンダは、地元の小学校から女子グラマースクールへ進んだが、試験の成績が振るわず16歳で学校を去り、薬局で2年間働いた。10代のあいだは婦人会の演劇グループで演じ、1952年にホイレイクの青年団の舞台に立ったのが最初の出演とされる。1954年にロンドンの王立演劇学校の入学試験を受け、チェシャー州の教育委員会から奨学金を得て、1955年1月にロンドンへ移って学び始めた。
1957年1月にウォーシングの劇場で舞台に立ち、テレンス・ラティガンの『銘々のテーブル』にも出演した。しかし1958年から約2年半は仕事に恵まれず、王立シェイクスピア劇団の試験にも落ちた。喫茶店の給仕や事務、劇場代理人の電話番、百貨店の店員などをして食いつないだという。のちにダンディーの地方劇団に戻っている。1963年に労働者を描いた映画の端役で映画デビューし、同年から4年間、王立シェイクスピア劇団に所属した。ピーター・ブルックの「残酷劇」の企画で、ペーター・ヴァイスの『マラー/サド』のシャルロット・コルデーを演じ、この舞台は1965年にブロードウェーでも上演され、パリにも渡った。1967年の映画版にも出演している。ピーター・ホール演出の『ハムレット』ではオフィーリアを演じた。ウェストエンドの舞台でも、ローレンス・オリヴィエ賞に5度候補となっている。
1969年の『恋する女たち』と1973年の『ウィークエンド・ラブ』で、アカデミー主演女優賞を2度受賞した。仕事の都合でどちらの授賞式にも出席できなかったという。1971年の映画でも英国アカデミー賞の主演女優賞を得た。2019年のテレビ作品の演技では、英国アカデミー賞と国際エミー賞の両方を受けている。テレビではエリザベス1世を演じた連続ドラマでエミー賞を2度受けた。ケン・ラッセルやジョン・シュレシンジャーらイギリスの映画作家の作品で、1970年代の自立した女性像を演じ続けた。シェイクスピアやイプセンなどの古典から現代劇、喜劇まで幅広くこなし、妥協を許さない個性の強さと、貫禄ある台詞回しが特徴とされた。
1992年、政界入りのため女優を引退し、労働党から総選挙に立候補して当選した。1997年から1999年まではブレア内閣で運輸政務次官を務め、のちにブレア首相には批判的になった。2010年の総選挙では42票差という、イギリス史上最も小さな差で当選した。2015年の選挙には出馬せず政界を退き、約25年ぶりに舞台へ復帰して、ロンドンで『リア王』のタイトルロールを演じた。2018年には、エドワード・オールビーの『幸せの背くらべ』の再演でトニー賞の主演女優賞を受けた。最後の出演映画『二度目のはなればなれ』は2022年9月に撮り終えたが、公開を前に、2023年6月15日、病気療養中に亡くなった。
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