伝記
ティナ・ターナー(本名アンナ・メイ・ブロック)は、1939年11月26日にアメリカ合衆国テネシー州ヘイウッド・カウンティのナットブッシュで生まれた歌手、ダンサー、女優である。父フロイドは農場で小作人たちを監督する仕事をしていた。第二次世界大戦中、両親が防衛施設で働くためノックスヴィルへ移ると、幼い彼女は姉のルビー・アイリーンと別々になり、厳格で信仰の篤い父方の祖父母のもとに預けられた。祖父母はバプティスト派の教会で執事を務めていた。のちに一家はナットブッシュに戻り、彼女は教会の聖歌隊で歌うようになる。11歳のとき、母は父との辛い関係に耐えかねて突然家を出てセント・ルイスへ移り、13歳のときには父も再婚してデトロイトへ去った。姉妹は祖母と暮らしたが、彼女が16歳のときに祖母が亡くなり、セント・ルイスの母のもとへ移る。1958年にサムナー高校を卒業し、病院で看護師の助手として働いて、看護師になることを夢見ていた。
姉とともにセント・ルイス周辺のナイトクラブへ通うなかで、彼女はアイク・ターナーと彼のバンド「キングズ・オヴ・リズム」の演奏に出会い、その音楽に心を奪われた。1958年のある夜、バンドのドラマーがマイクを彼女たちのテーブルに置くと、姉は断ったが彼女は手に取って歌い始めた。アイクはその声に驚き、最後まで歌わせ、やがて正式にバンドの一員として迎えた。最初の録音も同じ1958年で、「リトル・アン」の名でバックコーラスとして参加したものである。1960年、アイクが書いた「ア・フール・イン・ラヴ」を、本来歌うはずだった歌手が現れなかったため、仮の歌声として彼女が歌った。この曲はラジオで流れ、R&Bのレーベルの社長に気に入られて買い取られ、彼女を「ショーの目玉」にするよう勧められた。「ティナ」の名はこのときアイクがつけたものである。同年7月に発売された曲は即座にヒットし、R&Bチャートで第2位に達した。続く「イッツ・ゴナ・ワーク・アウト・ファイン」(1961年)もトップ20に入り、二人はグラミー賞にノミネートされた。
アイク&ティナ・ターナーは、90日連続の公演をこなすなど全米で厳しいツアーを重ねて人気を固め、1964年から1969年の5年間に10以上のレーベルと契約した。「プラウド・メアリー」(1971年)、「ナットブッシュ・シティ・リミッツ」(1973年)などもヒットした。しかし彼女は自叙伝のなかで、アイクのひどい家庭内暴力に苦しめられたことを明かしている。1976年にアイクと別れ、1978年に離婚が成立した。バプティスト派の信徒として育ったが、友人から教えられた仏教に活路を見出し、辛い時期を乗り越えたという。
離婚後は公演を重ねて経歴を作り直し、ソロ歌手として挑み続けた。1983年のシングル「レッツ・ステイ・トゥゲザー」に始まり、1984年には5枚目のソロ・アルバム『プライヴェート・ダンサー』が世界中で成功を収める。収録曲「愛の魔力」は、のちに彼女の自叙伝に基づく映画の題名にもなった。女優としても、1975年の「トミー」、1985年にメル・ギブソンと主演した「マッドマックス/サンダードーム」などに出演している。2008年にはなかば引退した状態から「50周年記念ツアー」で復帰した。グラミー賞を8度受賞し、アルバムとシングルの総売上は約2億枚とされ、「ロックンロールの女王」と呼ばれる。1991年にアイク&ティナ名義で、2021年にはソロ名義で「ロックの殿堂」入りを果たした。2023年5月24日に世を去った。
同じ年に亡くなった人物
- ドゥブラヴカ・ウグレシィチ (2023年没)
- Alan Newton (2023年没)
- マイクル・ビショップ (2023年没)
- ザハラ (2023年没)
- エドワード・フレドキン (2023年没)
同じ地域に関係する人物
- ハインリヒ・ブリンガー (1575年没)
- Eugen Corrodi (1975年没)
- スタブロス・ニアルコス (1996年没)
- エディ・リッケンバッカー (1973年没)
- ヨハン・ヤーコブ・ショイヒツァー (1733年没)