伝記
ヘルミオネのラソスは、紀元前6世紀のギリシアの抒情詩人である。アルゴリス地方の都市ヘルミオネの出身で、アテナイでペイシストラトス家の支配のもとに活動したことが知られる。父については、カルマンティダスとも、シサンブリノスとも、アリストクセノスによればカブリノスともいわれ、ドイツ語圏の事典はカルミノスの子とする。『スダ』によれば第58回オリンピア紀に生まれたという。
最もよく知られた功績は、ディテュランボスの革新である。偽プルタルコスの『音楽について』は、彼がこの賛歌に新しい工夫を加えたと伝える。音楽とリズムにさまざまな変更を加え、ディテュランボスを、複数の笛の伴奏を伴う、技巧を凝らした合唱歌へと発展させたとされる。そのため作風はいっそう技巧的で模倣的になり、題材もディオニュソスの冒険だけには限られなくなった。さらに、最優秀の作品を競う賞つきの競演を導入して人気を高めたともいう。『スダ』は、僭主ヒッパルコスの時代に、ディオニュソスの祭りの催しにディテュランボスの競演を加えたと述べ、この競演はその後の民主政にも続いたとする。後世にはディテュランボスの創始者とみなす者も多く、アリオンを挙げる者もあった。
詩作の面では、いくつかの詩でシグマの文字を避けたことでも知られる。シグマのシューシューという音を嫌ったためとされ、ヘルミオネのデメテルへの賛歌は、その一例である。この賛歌の数行がアテナイオスの著作に残っている。ジョルジュ・ペレックは、ラソスをシグマを欠く詩を二つ作った、最古の文字落とし(リポグラム)の作者とした。
ヘロドトスによれば、ラソスは、オノマクリトスがムサイオスの神託を偽作していたことを暴いた。フランス語圏の事典は、ラソスがこれを僭主ヒッパルコスに示し、オノマクリトスがアテナイから追放されたと述べる。ラソスは音楽についての論考も書いたとされ、『スダ』は、音楽について書物を著した最初の人物と伝える。そのためギリシアの音楽理論の創始者とみなされることもあるが、この書は失われ、内容はほとんど分からない。彼の言葉を集めた書物もあったという。
名声は音楽の領域をはるかに超えて広がり、七賢人の一覧のなかには、ペリアンドロスの代わりにラソスを入れるものもあったという。詩人シモニデスの好敵手でもあり、またピンダロスの師と伝えられるが、年代が合わず、誤りとされる。
同じ年に亡くなった人物
- アルケシラオス3世 (紀元前600)
- Archermus (紀元前600)
- Euthymenes (紀元前600)
- アリュエニス (紀元前 600年(推定))
- Eupalinos (紀元前600)
同じ地域に関係する人物
- フリストドゥロス (2008年没)
- アンゲロス・シケリアノス (1951年没)
- Pythias (紀元前400)
- アレクサンドロス・コリジス (1941年没)
- ニキフォロス・リトラス (1904年没)