伝記
ロバート・ジェフリー・エドワーズは1925年9月27日、イングランド北部のヨークシャーで生まれた生物学者である。出身地はリーズとする記述もあれば、ヨークシャーのバトリーとする記述もある。父は鉄道の保線をする労働者、母は機械工で、三人兄弟の次男だった。十歳か十一歳のころ、労働者階級の才能ある子どもがグラマー・スクールに進める試験に合格し、1937年にマンチェスターの中央高校に入った。戦争中、学校はブラックプールに疎開したが、その暮らしになじめず半年で帰宅し、母に送り出されて農場で羊や牛の飼育を学んだという。
1943年に学校を終えると、イギリス陸軍に入り、1948年までヨルダン、エジプト、イラクなど中東で従軍した。この時期に、パレスチナのアラブ人への生涯にわたる共感が育ったとされる。除隊後はウェールズ大学で農学から動物学に専攻を移し、バンガーで学んだ。1951年にエジンバラ大学の動物遺伝学研究所に進み、マウスの胚発生をテーマに1955年に博士号を取得している。1956年に内分泌学者のルース・ファウラーと結婚し、1959年から1964年にかけて五人の娘が生まれた。
その後、カリフォルニア工科大学でアルバート・タイラーのもとで精子と卵子の相互作用を研究し、ロンドンの国立医学研究所では卵母細胞の成熟を調べた。未成熟なマウスやラット、ハムスターの卵が体外でも発育を続けることを確かめたが、そのことはすでに先人が見出していたと、図書館で知った。1962年にはグラスゴー大学で、ウサギの胚から胚性幹細胞を作り出す研究にも加わった。1963年にケンブリッジ大学に移り、そこで初めて自分の研究グループを持った。1960年ごろから人間の受精に関心を持ち、1965年には学術誌に、ヒトの卵が体外で成熟することを示した。
1967年ごろ、研究仲間のジーン・パーディとともに、腹腔鏡手術を用いるオールダムの産婦人科医パトリック・ステプトーと連絡を取った。ステプトーが採取する卵母細胞を使って、エドワーズは受精の条件を探り、人工授精や初期胚の培養のための培養基を整えた。精子の環境の酸性度を上げる必要があることをバリー・バヴィスターが見出したこともあって、1968年にヒトの卵を体外で受精させることに成功し、その成果は1969年2月に学術誌ネイチャーで発表された。しかし、生命倫理や宗教の観点からの反対は根強かった。
その後も、受精の条件や胚の発育、胚の移植の方法など、課題を一つずつ解決していった。1971年12月の最初の移植から7年近くを経て、1978年7月25日、オールダム総合病院で世界初の体外受精児ルイーズ・ブラウンが誕生した。1980年にはステプトーと、ケンブリッジシャーにボーン・ホール・クリニックを設立し、研究と専門家の養成の拠点とした。ステプトーは1988年に亡くなったが、エドワーズは学者として、また医学誌の編集者として活動を続けた。
1984年に王立協会フェローに選ばれ、1989年にキング・ファイサル国際賞、2001年にラスカー賞を受けた。2010年にはノーベル生理学・医学賞を受賞したが、ローマ教皇庁は不快感を表明している。2013年4月10日、ケンブリッジ近郊で亡くなった。
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