HISTORICAL PERSON · 2013年没

イアン・バンクス

スコットランドの作家。一般小説ではイアン・バンクス、サイエンス・フィクションではイアン・M・バンクスの名義で作品を書き分けた。

生涯
2013年没
死亡地
イギリス連邦(ファイフ / カーコーディ)
出生地
イギリス連邦(ダンファームリン)
出典
世界地図
イギリス連邦(ファイフ)

伝記

イアン・メンジーズ・バンクスは、1954年2月16日にスコットランドのファイフ地方のダンファームリンで生まれた著作家である。主流小説をイアン・バンクス名義で、サイエンス・フィクションをイアン・M・バンクス名義で発表した。父は海軍本部の士官、母はプロのスケーターで、一人っ子だった。9歳までは、父が勤務していたロサイスの海軍工廠に近いノース・クイーンズフェリーで暮らし、父の転勤で一家はガーロックに移った。ガーロックとグリーノックの高校に通い、1972年から1975年までスターリング大学で英語学、哲学、心理学を学んだ。

書くことは11歳のころに始め、16歳で最初の長編を完成させ、スターリング大学の1年目にも次の長編を書いた。大学卒業後は、夜に書く時間が取れる仕事を転々とした。20代には、IBMの調達担当、ブリティッシュ・スチールの検査技術者、ロンドンの法律事務所の原価計算係などをしながら、契約の合間に長い休みを取ってヨーロッパと北米を旅した。ロンドンに移り、1988年にスコットランドへ戻るまでイングランド南部に住み、その後はエディンバラ、さらにファイフへと移った。

自分では主にSF作家だと考えていたが、出版が思うように進まなかったため、主流の小説へ向かった。1984年、30歳のときに処女作『蜂工場』が世に出ると、これが成功して専業の作家になった。マクミランの編集者は、1年に1冊書くよう勧め、バンクスはそれに応じた。続いて『ウォーキング・オン・グラス』、『ブリッジ』、1987年の『エスペデア・ストリート』などを発表し、『エスペデア・ストリート』は後にラジオドラマ化された。1993年の『共鳴』は2000年に映画化され、邦題は『サイコ2001』である。1992年の『クロウ・ロード』はテレビドラマ化された。

筆名の使い分けには経緯がある。両親はイアン・メンジーズ・バンクスと名づけたが、父が出生届の際に誤って中間名を落としてしまった。バンクスはその名を使い続け、『蜂工場』を送るときも「イアン・M・バンクス」と署名した。しかし編集者が、Mを外すよう提案した。P・G・ウッドハウスの小説に出る作家ロージー・M・バンクスと混同されるおそれもあったという。そこで主流小説3作を出したのち、最初のSF小説を出す際に、区別のため自分からMを復活させた。SFの多くはカルチャーと呼ばれる星間文明を舞台にした連作で、『ゲーム・プレイヤー』や『フィアサム・エンジン』などの邦訳がある。

政治的には左翼的な歴史観が作品に濃く表れており、友人のSF作家ケン・マクラウドと共通するとされる。2004年後半にはイラク戦争への英国の参戦を批判し、首相トニー・ブレアの責任を問う活動の一人となって、ダウニング街10番地の前で自分のパスポートを裁断してみせた。同年にはウイスキーの蒸留所を巡る旅行記も書いた。1992年にハワイで結婚した妻アニーとは2007年初めに離婚した。同年2月には自動車のコレクションを手放し、ハイブリッド車を買って、緊急時以外に飛行機に乗らないと誓った。2013年4月に手術不能な癌を公表し、余命は1年に満たないだろうと語り、6月9日に59歳で死去した。最後の長編は死去した月に出版され、通算27作目の小説となった。

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