伝記
ポール・リクールは、1913年2月27日にフランス南東部のヴァランスで生まれた哲学者で、20世紀フランスを代表する思想家の一人である。現象学、解釈学、修辞学、時間論、歴史哲学、宗教哲学、政治哲学などに業績がある。幼くして両親を亡くし、父は第一次世界大戦で戦死した。レンヌで幼少期を過ごし、1934年から1935年にかけて戦災孤児のための奨学金を得て、パリのソルボンヌ大学で学んだ。ラシュリエとラニョーについての修士論文を提出したが、第二次世界大戦のために出征し、ドイツ軍の捕虜となって、ポーランドの収容所に数年間拘留された。
戦後は国立科学研究センターを経て、ジャン・イポリットの後任としてストラスブール大学の助教授となった。収容所時代の仲間である美学者ミケル・デュフレンヌと、ヤスパースについての研究書を共著で出版した。主論文『意志的なものと非意志的なもの』と、副論文であるフッサール『イデーン』の仏訳で国家博士号を取得し、フランスにおけるドイツ哲学研究の第一人者となった。1956年にパリ大学の哲学教授となり、1960年に『過ちやすき人間』と『悪の象徴系』を刊行した。1975年の『生きた隠喩』では隠喩を論じた。この時期には、一時期デリダが助手を務めていた。1965年の『解釈について』をめぐっては、ラカン派との激しい論争が起こった。1968年の5月革命の後には、パリ大学ナンテール校の学長として、混乱のなかで学生との折衝役を務めた。1969年にコレージュ・ド・フランスの教授に立候補したが、1970年に選ばれたのはフーコーだった。
1973年からはシカゴ大学の神学部教授も兼ね、英米の言語哲学や分析哲学との相互の影響が強まった。同僚の宗教学者エリアーデとも親交を結んだ。1981年から1983年に、主著『時間と物語』を刊行し、「物語的自己同一性」の概念を示した。「ヘーゲルを断念する」と述べたこの仕事は、リオタールの『ポストモダンの条件』とともに、思想界の一時代を画した。1990年の『他者のような自己自身』は、ウォルツァー、ハーバーマス、サンデルに論及した倫理学の重要な著作である。晩年にも『愛と正義』や、2004年の『承認の行程』を著した。2000年の『記憶、歴史、忘却』では、歴史修正主義を論じ、「赦し」の観念をめぐってデリダと議論した。この本の執筆時に秘書を務めた当時大学生の一人は、のちのフランス大統領エマニュエル・マクロンである。
シェーンベルクの音楽やジャクソン・ポロックの抽象絵画を好み、スイユ社が刊行する雑誌エスプリの編集にも深く関わった。1985年にヘーゲル賞、1989年にヤスパース賞、1999年にバルザン賞、2000年に京都賞思想・芸術部門、2004年にクルーゲ賞を受けた。名誉博士号は、1967年のシカゴ大学を皮切りに、1976年にルーヴァン・カトリック大学、1983年にオタワ大学、1993年にマドリード・コンプルテンセ大学、1996年にサンティアゴ・デ・コンポステーラ大学、1998年にパドヴァ大学から贈られ、教育功労章のコマンドゥールにも叙された。2005年5月20日、自宅で老衰により92歳で亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
- オマール・シボリ (2005年没)
- ブラザー・ロジェ (2005年没)
- ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇) (2005年没)
- Ahmed Deedat (2005年没)
- Zdravko Jezic (2005年没)
同じ地域に関係する人物
- アラン・レネ (2014年没)
- ピエール・ジャンサン (1907年没)
- ブラート・オクジャワ (1997年没)
- ジョルジュ・フェドー (1921年没)
- ロッテ・アイスナー (1983年没)