伝記
チャールズ・ブロンソンは、本名をチャールズ・デニス・ブチンスキーといい、1921年11月3日にペンシルベニア州エーレンフェルドで生まれたアメリカ合衆国の俳優である。リトアニア移民の家庭の15人兄弟の5男で、母語はリトアニア語であった。ポーランド・リトアニア共和国内に定住したテュルク系のリプカ・タタール人の血筋を引くとされ、その容貌からアジア系やメキシコ系のように思われたため、のちにメキシコ人やインディアンの混血の役をしばしば演じた。炭坑夫だった父は彼が10歳のときに死去し、兄たちとともに炭坑に入って、石炭を1トン掘るごとに1ドルを得た。家が貧しくて、妹の服を借りて学校へ通ったと伝えられる。
第二次世界大戦中は陸軍航空隊に入り、公式の記録では1943年に志願して、爆撃機に搭乗したという。日本の本土空襲にも参加し、最終階級は伍長だった。1946年に除隊して美術学校に入り、そこで舞台の裏方やエキストラを経験して芝居に目覚めた。1948年に友人とニューヨークへ行って本格的に演技を学び、レンガ職人やウェイターなどをしながら、端役で舞台に出た。1950年にハリウッドに移り、パサデナの劇場兼俳優養成校で演技を学んだ。1951年に映画デビューした当時は本名で通していたが、赤狩りの旋風が吹いて東欧風の響きを持つ名を避け、映画『太鼓の響き』からチャールズ・ブロンソンを名乗るようになった。
実在の強盗マシンガン・ケリーの半生を描いた1958年の『ケリー』で主役に抜擢され、さらに『荒野の七人』(1960年)や『大脱走』(1963年)などのヒット作に出演して、男臭い風貌と巧みな演技で人気を呼び、地位を確立した。その後は『さらば友よ』や『雨の訪問者』、『レッド・サン』など外国で制作された映画に出て、国際的な映画スターの仲間入りを果たした。1970年の『狼の挽歌』では愛する女性を狙撃する男の悲しみを演じ、1972年の『バラキ』ではフランスの俳優リノ・バンチュラを招き、実在のマフィアを演じて好評を得た。1975年のウォルター・ヒル監督『ストリートファイター』も人気作となり、『狼よさらば』に始まるシリーズへの主演で人気を不動のものにした。
私生活では、1949年に女優ハリエット・テンドラーと結婚して1967年に離婚し、翌1968年にジル・アイアランドと再婚して、多くの作品で共演した。1990年にジルが乳癌で先に亡くなると、引退を宣言したがのちに復帰した。1998年にはテレビシリーズで共演したキム・ウィークスと再婚した。晩年にアルツハイマー病を発症し、2003年8月30日に肺炎で死去した。2004年に公開された『キル・ビル2』のエンドクレジットには、彼を尊敬するクエンティン・タランティーノ監督により、安らかに眠ってほしいという言葉が入れられた。
日本では1970年に、男性用化粧品の「マンダム」のテレビCMに出演し、「う〜ん、マンダム」の台詞が子どもまで真似るほど流行した。CMの音楽「男の世界」も日本独自のヒットとなり、経営不振だった丹頂は、年商が2年で倍増して危機を脱し、翌年に社名をマンダムへ変えた。日本語の吹き替えでは、大塚周夫と森山周一郎が主に担当した。
同じ年に亡くなった人物
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