HISTORICAL PERSON · 1957年没

ハンフリー・ボガート

ニューヨーク出身のハリウッド俳優で、愛称はボギー。1936年の『化石の森』出演以降、長年ワーナー・ブラザースで活躍した。

生涯
1957年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / ロサンゼルス)
出生地
アメリカ合衆国(ニューヨーク)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

ハンフリー・ディフォレスト・ボガートは、1899年12月25日にニューヨークで生まれたアメリカの映画俳優で、愛称はボギーである。父ベルモント・デフォレスト・ボガートは外科医、母モード・ハンフリーは商業イラストレーターで、長男として生まれた。父はイングランドとオランダの血を引く厳格な長老派、母はイングランド系の厳格な聖公会信徒だった。誕生日については、ワーナーの宣伝部が1900年1月23日に変えたとされるが、出生記録などから、実際は12月25日だと確認されている。母は雑誌の美術部長を務めた活動的な女性で、赤ん坊だった彼の絵が離乳食の広告に使われた。一家はマンハッタンのアパートのほか、州北部の湖畔に別荘を持っていた。二人の妹がおり、両親は仕事に忙しく、子どもにはあまり愛情を表に出さなかったという。母は子どもたちに「お母さん」ではなく名前で呼ばせ、ボガートは少年のころ、巻き毛や母が着せた服、そして名前をからかわれた。

家庭は裕福で、イェール大学への進学が望まれていたが、ボガートは高校を中退した。1918年に海軍に入隊し、3年後に除隊すると、ブルックリンの劇場で舞台に立つようになり、俳優の道を志した。1922年にブロードウェイの舞台に初めて立ち、16の舞台に出演して脇役やギャングを演じることが多かった。1930年に映画に初出演し、1936年に舞台と映画の『化石の森』に出演したのちは、15年近くにわたってワーナー・ブラザースの専属に近い形で活動した。1930年代にはギャング映画の敵役を多く演じたが、40歳を過ぎて主演した『ハイ・シェラ』や『マルタの鷹』のようなフィルム・ノワールや『カサブランカ』などで、ハードボイルド・スターの地位を築いた。

『マルタの鷹』を監督デビュー作とするジョン・ヒューストンとは馬が合い、『黄金』『キー・ラーゴ』『アフリカの女王』など、死去するまで数多くの作品で主演を務めた。ローレン・バコールとも『脱出』や『三つ数えろ』『キー・ラーゴ』で共演している。『アフリカの女王』(1951年)の荒くれ者の船長役でアカデミー賞主演男優賞を受賞し、『カサブランカ』と『ケイン号の叛乱』では候補となった。後年は演技派としても活躍し、最後の映画出演は1956年の『殴られる男』だった。1947年にはハリウッドのマッカーシズムに反対し、その傍聴の様子は雑誌にも掲載された。

57年の生涯で4度結婚し、4人目の妻バコールとの間に1男1女をもうけた。バコールの自伝によれば、ボガートは死ぬまで妻を「キッド」と呼んでいたという。ヘビースモーカーで酒豪としても知られ、愛飲酒はドランブイで、飲んだ量に比例して毒舌が激しくなるといわれた。晩年に食道癌を宣告され、妻とともに闘病したが、1957年1月14日に亡くなり、グレンデールのフォレストローン墓地に埋葬された。1960年にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに星が刻まれ、1999年にアメリカン・フィルム・インスティチュートが発表した「映画スターベスト100」では男優の1位に選ばれた。トレンチコートの襟を立て、紙巻きたばこをくわえる姿は多くの人に真似されている。

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