伝記
ロベルト・ボラーニョ・アバロスは、1953年4月28日にチリのサンティアゴで生まれた小説家、詩人である。父はトラック運転手でボクサーでもあった人物、母は教師で、中の下の階層の家庭だった。生まれたのはサンティアゴだが、そこで暮らしたことはなく、妹とともに南部や沿岸の町で幼少期を過ごした。ビーニャ・デル・マルやキルプエ、カウケネスで学校に通い、子供時代の大半はロス・アンヘレスの町で過ごしている。本人の説明では、痩せて近視で、本の虫だった。難読症もあり、学校では疎外感を抱き、よくいじめられた。
1968年に家族とともにメキシコシティへ移り、学校をやめて、ジャーナリストとして働きながら左翼の運動に加わった。1973年には、サルバドール・アジェンデ政権を支えて「革命の建設を手伝う」ために、メキシコからチリに向かった。そこで9月のピノチェトによる軍事クーデターに巻き込まれ、「テロリスト」の疑いで逮捕されて、8日間勾留された。高校の同級生で、看守になっていた二人に助けられたと、本人は短編の中で語っている。ただし2009年以降、当時のメキシコの友人たちは、彼が本当に1973年にチリにいたのかどうか疑いを示している。釈放後、再びメキシコに戻って、前衛詩の運動に加わり、1975年には「インフラレアリスモ」という小さな詩の運動の創設メンバーとなった。
1977年にヨーロッパに渡り、スペインのカタルーニャ地方に落ち着いた。地中海沿岸のコスタ・ブラバで、皿洗い、キャンプ場の管理人、ホテルのボーイ、ごみ収集など様々な職に就き、余暇に詩を書く生活を送った。1984年には友人との共作で最初の小説を発表した。1985年に結婚し、1990年に長男が生まれたことで、家族の将来に責任を感じるようになった。詩人の稼ぎでは暮らせないと考え、小説に移ったと語っている。このころから、賞金を目当てに様々な文学賞へ小説を送るようになった。1996年、実験的な中編『アメリカ大陸のナチ文学』を出版した。好意的な書評が出たものの、売れ行きは散々だった。しかしこれをきっかけに出版社アナグラマが関心を持ち、以後の作品はすべてここが手がけることになった。
同じ1996年に、『アメリカ大陸のナチ文学』の一つの挿話を中編に膨らませた『はるかな星』を発表した。売れ行きは乏しかったが、批評家には高く評価された。1997年の短編集『通話』は前作以上の売り上げと評価を得た。長編小説『野生の探偵たち』は、ロムロ・ガジェーゴス賞を受けて、次世代のラテンアメリカ文学を担う作家として注目された。ボラーニョの小説は、マジックリアリズムのような手法をほとんど使わず、比較的平易な文体で、「売れない作家」のような人生の落伍者の悲哀を、客観的な視線で冷静に描いたものが多い。『はるかな星』『野生の探偵たち』『2666』の大きな筋は、いずれも「ある作家を探しに行く」というものである。
その後も中編を発表しながら、大長編『2666』を書き続けたが、2003年7月15日、肝不全のため50歳で亡くなった。遺稿は、本人が指名した友人によって整理され、2004年に刊行された『2666』は、最高傑作と絶賛された。2008年に英訳が出て全米批評家協会賞を受けると、評価は世界に広がった。現在、バルガス=リョサやガルシア=マルケス以来の成功を収めたラテンアメリカ文学の代表的な作家の一人とされるが、長編の散漫な箇所への指摘など、過剰な評価を見直す動きもある。
同じ年に亡くなった人物
- アート・カーニー (2003年没)
- モーリス・ピアラ (2003年没)
- ヴァシル・ビカウ (2003年没)
- ジョニー・ウォーカー (2003年没)
- マモハト・オブ・レソト (2003年没)
同じ地域に関係する人物
- Manuel Goded Llopis (1936年没)
- アントニ・ガウディ (1926年没)
- ジョゼップ・エスコラ (1998年没)
- ベルナト・マルトレル (1452年没)
- Heribert Barrera i Costa (2011年没)