伝記
クリフォード・グレンウッド・シャルは、1915年9月23日にペンシルベニア州ピッツバーグで生まれたアメリカの物理学者である。ピッツバーグのシェンリー高校に通い、カーネギー工科大学で学士号を、ニューヨーク大学で博士号を得た。第二次世界大戦中は、ニューヨーク州ビーコンにあるテキサス社の研究所で働いた。
戦後の1946年、のちにオークリッジ国立研究所となるクリントン研究所に移り、中性子散乱の研究を始めた。本人は後に、オークリッジの科学者たちが、戦時中のマンハッタン計画で開発された情報や技術の、本物の科学的な用途を探すことに熱心だったと語っている。シャルはアーネスト・ウォランと組み、その後9年間にわたり、原子炉から出る中性子を使って物質の原子の構造を探る方法を研究した。原子炉からの中性子を単色の中性子にして試料に照射し、散乱された中性子ビームの強さの分布をカウンターで測って、原子の種類と結晶構造を決める技術である。中性子は電荷を持たないので透過力が高く、物質の内部の情報も得られるという利点がある。
1948年にはウォランらと中性子回折の研究を報告し、1951年にはランドルらとトリウムとジルコニウムの二水素化物の結晶構造を、エックス線と中性子の回折で調べた。当時の仕事のなかで、シャルが最も重要と考えたのは、物質中の水素原子の位置を決める問題だった。水素原子は生物に関わる物質や多くの無機物にあふれているが、他の方法では見ることができない。中性子ならそれがまったく違い、水素を含む構造について知ることができたのがうれしかったと語っている。散乱の技術を磨くかたわら中性子そのものの基本的な性質も調べ、磁性体に対して初めて中性子回折の研究を行った。ロードアイランド大学の物理学者は、アメリカに「中性子散乱の父」がいるとすればシャル教授だと書いた。
1955年にマサチューセッツ工科大学の教授となり、1986年に退職したが、その後も大学を訪れて、かつての自分の研究室の名残で実験する学生たちの様子を見守った。1956年にアメリカ物理学会のバックリー賞を受け、同年にアメリカ芸術科学アカデミーの会員に、1975年に全米科学アカデミーの会員に選ばれた。1993年には、スウェーデン王立科学アカデミーのグレゴリ・アミノフ賞を受けた。1994年にはカナダのバートラム・ブロックハウスとともにノーベル物理学賞を受賞した。ウォランは1984年に亡くなっており、受賞できなかった。79歳だった当日には、窓ガラスや半導体やマイクの改良も、動作の基礎になる科学の理解にさかのぼると述べている。2001年3月31日に85歳で死去した。南極のシャル岩には、その名がつけられている。中性子散乱学会にはその名を冠したクリフォード・シャル賞を設け、オークリッジ国立研究所にもシャル・フェローシップがある。
同じ年に亡くなった人物
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