HISTORICAL PERSON · 1996年没

トーマス・クーン

アメリカの科学史・科学哲学者。物理学で博士号を取った後、科学史と科学哲学の研究に進んだ。ハーバード大学で物理学を学んだ。

生涯
1996年没
死亡地
アメリカ合衆国(マサチューセッツ州 / ケンブリッジ)
出生地
アメリカ合衆国(シンシナティ)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(マサチューセッツ州)

伝記

トーマス・サミュエル・クーンは、1922年7月18日にアメリカ合衆国オハイオ州シンシナティで生まれた科学史家、科学哲学者である。ドイツ系ユダヤ人移民の家庭の出身で、もとの姓はコーエンだったという。父サミュエルは工業技師、母ミネットはユダヤ系だった。1940年にコネチカット州のタフト・スクールを卒業し、この学校で数学と物理学への関心が芽生えたとされる。

ハーバード大学で物理学を専攻し、1943年に学士号を、1946年に修士号を取得した。大学院在学中に科学史と科学哲学の研究に関心を持つようになったが、博士号は1949年に物理学の研究で得ている。指導にあたったのは物理学者のジョン・ヴァン・ヴレックである。ハーバードの学内研究員として三年間、完全に自由な研究生活を送ったことが、物理学から科学史・科学哲学へ移る上で決定的だったと、のちに『科学革命の構造』第二版の序文で振り返っている。ハーバード大学の学長ジェームズ・コナントの勧めで、1948年から1956年まで科学史の講義を受け持った。その後、カリフォルニア大学バークレー校に移って哲学部と歴史学部の両方で教え、科学史の教授となった。デンマークの物理学者ニールス・ボーアには、その死の前日に聞き取りを行ったという。

1962年、バークレーで教えていた時期に主著『科学革命の構造』を発表した。科学の歴史は一様に積み重なっていくものではなく、ときに断続的な革命的変化、すなわち「パラダイムシフト」が起こると指摘した。科学者の共同体が共有するパラダイムのもとで研究が進み、既存の理論で説明できない変則事例が積もると危機が生じ、やがて新しいパラダイムへ移るというのが、その考え方の骨子である。1964年にプリンストン大学の教授となり、科学史・科学哲学を教えた。1969年から1970年にはアメリカ科学史学会の会長を務め、1979年にはマサチューセッツ工科大学の教授に加わった。ほかにボストン大学でも教えた経歴がある。

しかし、ポパー、ラカトシュ、ファイアアーベントらはパラダイム概念に否定的で、論争が起きた。とくに1965年7月13日、「批判と知識の成長」と題するシンポジウムで、クーンは徹底的に批判を受け、のちに「ポパー派によるクーンの袋叩き」と評された。クーン自身が目指したのは、科学の研究現場に内在した堅実な科学史研究であり、論争はすれ違いの気配が濃かったとされる。パラダイムという語は社会科学や人文科学、さらにはビジネス書にまで広がったが、多くの場合、クーンが意図した限定的な意味からは外れていた。記述の曖昧さが指摘されたことや、概念が安易に拡大されることを嫌ったことから、クーンはのちに、より明確に定義した「専門母型」という概念を示し、『科学革命の構造』の改版では加筆も行った。晩年は、科学革命を、学問分野が対象の範囲を狭めながら専門化していく過程としてとらえる方向へ傾いたと説明される。

私生活では二度結婚し、最初の妻キャスリン・ミュースとの間に三人の子がいた。のちにジェハン・バートン・バーンズと再婚した。1994年に肺癌と診断され、1996年6月17日に世を去った。そのほかの著書に『コペルニクス革命』や『本質的緊張』があり、哲学者リチャード・ローティらに影響を与えた。

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