HISTORICAL PERSON · 240年没

ヘロディアヌス

古代ローマの歴史家で、属州シリア出身の役人と伝えられる。マルクス帝の死に始まる同時代史のマルクス帝没後のローマ史を著し、トゥキュディデスを手本に政治行動を客観的に記したが、出自や生没年は不明。

生涯
240年没
死亡地
—
出生地
イタリア共和国(ローマ県 / ローマ帝国)
出典
世界地図
イタリア共和国(ローマ県)

伝記

ヘロディアヌスは、古代ローマの歴史家である。170年頃に生まれ、240年頃に没したとされ、属州シリア出身の役人として帝政ローマ中期に活躍したと伝えられる。マルクス・アウレリウス帝の死から始まる同時代史『マルクス帝没後のローマ史』を書き残したことで知られる。ただし生年も没年も本人の著作には示されておらず、確かなことは分からない。

通説の生没年は、著作の記述から推測されたものである。歴史家たちは各時代の説明量から、少なくとも180年には10歳以上だったと考え、240年に執筆を終えたとみて、70歳以上まで生きたと判断している。本人が「私の目的は70年の間に見聞きした皇帝達の治世について書き残すことである」と述べていることも、この推測を支えている。しかし、この仮説が誤りである可能性も否定できない。晩年に即位したゴルディアヌス3世を辛辣に書いており、存命の皇帝を批判するのは極めて危険だったため、死後に書いたのなら、暗殺された244年以降まで執筆していたことになる。また第3巻にはコンモドゥスの192年の競技会が書かれ、これを14歳で観戦したのなら178年生まれという説も成り立つ。

出自も謎に包まれている。アルプス山脈を「世界で最も巨大な山脈」としていることから、イタリア本土の出身ではないと類推される。カラカラ帝によるアレクサンドリアの虐殺と破壊を非常に感情的に記したことから、同市の出身とする説がある。一方、属州シリアへの言及が多いことからアンティオキア出身とする俗説も広く伝わる。だが、パルティアの二人の王を一人と混同し、地理的な誤りの多い粗悪な地図を付記しているため、シリアに住んだ経験はないとも考えられる。法学者アエリウス・ヘロディアヌスの息子とする説もあるが、証拠はない。

本業も詳しくは分からない。本人は冒頭の前文で、皇帝たちの治世にある程度関わりを持てたと述べ、公職にあったことをうかがわせる。元老院内の秘密協定を記していることから元老院議員だったとする論者もいるが、この協定は複数の元老院議員によって暴露されたとも伝えられ、結論づけるのは短絡的とされる。むしろ解放奴隷の知識人で、皇帝の書記官や秘書だったのではないかとする推測が多い。皇帝個人の振る舞いや民衆の反応に力点が置かれていることも、これと合致する。重職についた経験はなく、おそらくギリシア系の下級役人だったとみられ、元老院階級に生まれて執政官や総督を歴任した同時代のカッシウス・ディオとは対照的である。

『マルクス帝没後のローマ史』は全8巻で、マルクス・アウレリウス帝の晩年からゴルディアヌス3世の暗殺までを記す。文体や、おそらく創作の演説文を加える方法から、トゥキュディデスを手本にしたとみられる。自ら見聞きした皇帝たちの出来事だけを、おおむね客観的に書こうとしているが、ペルティナクスの評伝は中立的でないとする論者も多い。9世紀のフォティオスは、誇張も見過ごしもなく率直に書いたと賞賛し、ヴォルフは「宗教や偏見がまったくない歴史書」とまで論じた。一方で、重要性に欠ける内容が多いこと、大きな出来事が短く要約されること、地理的な誤りが多いこと(イッススを「ダレイオス3世が捕らえられた場所」とするなど)への批判もある。ディオが自らの政治的立場から皇帝を評す面があるのに対し、ヘロディアヌスにはそうした要素が少ないとされる。ゾシモスらはこの書を使ったが、第一の典拠とはしなかった。

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