伝記
ピロストラトスは、ローマ帝国期のギリシア語著述家・弁論家で、第二次ソフィストの一人である。170年頃から240年代頃の人とされ、フルネームはフラウィウス・ピロストラトスという。同じ出身地で同業の同名の親族が複数いて、父のベロス・ピロストラトス、義理の息子で甥にあたるレムノスのピロストラトス、孫の小ピロストラトスがいる。本項の人物は通称アテナイのピロストラトスと呼ばれ、四人のうち最も著名である。
その生涯には不明な点が多く、断片的な記録をつなぎ合わせて推測されている。おそらく170年頃にレムノス島で生まれ、青年期にアテナイへ赴いて弁論術を修めた。その後ローマに移り、セウェルス帝の妃ユリア・ドムナが主宰する知的サロンに加わった。彼女との縁でカラカラ帝にも仕え、各地への遠征にも随行したという。『スーダ』によれば、軍人皇帝ピリップス・アラブスの在位期(244年から249年)まで活動した。出身地についてはレムノス人とする後世の記述があり、一方でフォティオスはテュロス人としており、本人の書簡ではアテナイ人と称されている。「フラウィウス」という名は『ソフィスト列伝』などの記述から分かる。親族と混同されやすいこともあり、作品の帰属には諸説があるが、いずれも古代ギリシア語で書かれた。『ヘーローイコス』を含む主要な著作は、現在ローブ古典叢書などで現代語訳が出ている。
主な著作のひとつ『ヘーローイコス』(邦題は『英雄が語るトロイア戦争』『英雄論』)は213年から214年頃の成立で、ホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』とは異なる説をとるトロイア戦争の物語である。トロイア遺跡の対岸のトラキア・ケルソネソスに住むぶどう園主が、英雄プロテシラオスの幽霊と交わり、その内容をフェニキア人の旅人に語って聞かせるという枠物語の形をとる。作中ではホメロスへの賛辞と、批判や修正が入り交じる。
『テュアナのアポロニオス伝』は217年から238年頃の成立で、ユリア・ドムナの依頼により書かれた。1世紀の新ピタゴラス学派の哲学者で、ナザレのイエスと同時代の奇跡行者でもあったアポロニオスの伝記の形をとる。西はヒスパニア、東はインドまで各地を旅するさまが描かれ、奇跡や哲学のほか、地誌や伝説上の生物など雑多な内容を含む。この書が伝えたアポロニオス像は、後世、キリスト教批判者などに注目された。ラミアーの描写は17世紀に受け入れられ、のち19世紀のジョン・キーツにも影響したとされる。
『ソフィスト列伝』は231年から237年頃の成立で、執政官ゴルディアヌス1世に献呈された。全2巻で、第1巻はゴルギアスら古代ギリシアのソフィスト、第2巻はローマ帝国期のソフィストを扱う。史実に即した伝記というより、ピロストラトスの視点による評伝であり、ここでいうソフィストは蔑称ではなく、哲学者と並ぶ尊称だった。この書が「第二次ソフィスト」という呼び名の由来になった。ほかに古代ギリシアの体育とスポーツについて書いた『ギュムナスティコス』(邦題『体育論』。古代オリンピックやボクシング、スタディオン走などを扱う)、性愛を謳った書簡形式の詩集『エピストライ』などがある。後者の詩の一つは、17世紀にベン・ジョンソンが英訳して『シリアへ』の詩にしたとされ、この詩は英語民謡の歌詞でもある。作風はヘレニズム期の新喜劇に似るという。ユリア・ドムナ宛てのものなど、個別の書簡も残る。
同じ年に亡くなった人物
- ヘロディアヌス (240年没)
- サビニアヌス (僭称者) (240年代没)
- テルトゥリアヌス (240年)
- セクストゥス・ユリウス・アフリカヌス (240年没)
- 卑弥呼 (240年代没)
同じ地域に関係する人物
- Andreas Vokos Miaoulis (1835年没)
- テオドール・フォン・ヘルドライヒ (1902年没)
- メタクサス (1860年没)
- ブルーノ・ブロイアー (1947年没)
- ランプサコスのストラトン (紀元前268)