伝記
ルイ・ド・フュネスは、1914年7月31日、フランスのクールブヴォアに生まれた喜劇俳優である。出生名はルイ・ジェルマン・ダヴィッド・ド・フュネス・ド・ガラルザといい、カスティーリャ地方の没落した貴族の出身で、スペインから移住してきた両親の3番目の子だった。母方は、マドリードの著名な弁護士を父に持つブルジョアの家系で、当初は結婚に反対したが、多額の持参金を持たせて結婚を承認した。兄のシャルルは戦死した。父はフランスに来てから弁護士の仕事を続けられず、突然ダイヤモンド職人になり、ベネズエラに旅立って結核にかかり、1934年にスペインで孤独死した。母がルイの喜劇の最初の先生となったと言われ、5歳の彼に最初のピアノのレッスンを教えた。少年時代はヴィリエ=シュル=マルヌで過ごした。
1930年、16歳のとき、革職人になっていた兄に勧められて皮革専門学校に入ったが、教師へのヤジを咎められて退学した。いくつかの製革所で働いたが、ことごとく首になり、両親は1932年に彼を写真映画学校に入学させた。同級にはのちに撮影カメラマンとなるアンリ・ドカエがいた。その後は職を見つけてはすぐに首になる生活が続いた。1936年に最初の結婚をして長男が生まれたが、夫婦は別居し、1942年に離婚した。パリ占領時代には、ショーウィンドーのデザイナーや靴磨きなど小さな仕事を転々としたのち、バーのピアニストになった。そこで出会ったエディ・バークレーは、「楽譜を読むのは得意でなかったが、耳は良く、素晴らしい音楽家だった」と述べている。1943年に再婚し、次男と三男が生まれた。
1942年、28歳で喜劇役者になる決意をし、ルネ・シモン演劇教室の入学試験に合格した。そこで知り合ったダニエル・ジェランのおかげで、1945年の映画で最初のセリフを発した。脇役ながらキャバレーの門番を演じ、客に「ふん、今日は酔っぱらってやがるな!」と言う役だった。その後も端役や脇役を重ね、1949年にはジュール・ベリー主演の喜劇で、準主役のピアニストを演じた。1950年にはマックス・レヴォルの一座でピアニスト兼役者となり、サシャ・ギトリの映画の端役を重ねて、のちに多くの映画で妻役を務めるクロード・ジェンサックとも初めて共演した。1953年に舞台『ああ! 美しい口ひげ』で主役を演じて大成功を収め、公演は2年に及んで、名を知られるきっかけとなった。1954年から18本以上の映画で準主役を与えられ続けた。1956年、ジャン・ギャバンやブールヴィルと共演した『パリ横断』で食料品店員を演じ、広く知られるようになった。
低い身長で大げさな身振りを伴って動き回り、目上にはへつらい、目下には厳しく叱るという彼特有のキャラクターは、フランスだけでなく、ソビエト連邦でも大きな成功を収めた。『サントロペ』の憲兵シリーズや『ファントマ』のシリーズ、『大追跡』『大進撃』などのヒット作を生み、約140本の映画に出演して、1960年代から1980年代初頭の興行収入の第一人者として、2億7千万もの集客を数えた。年間の興行収入では8回、1位を占めた。1980年の『守銭奴』では共同監督も務めた。1983年1月27日、ナントで亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
- イドリース1世 (リビア王) (1983年没)
- ホセ・ビジャヌエバ (1983年没)
- ハルダン・ケファー・ハートライン (1983年没)
- エドワード・ロウリー・ノートン (1983年没)
- ウラジーミル・ゲルファント (1983年没)
同じ地域に関係する人物
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- ジャン・ヴァンサン (2013年没)
- ジョフロワ1世 (ブルターニュ公) (1008年没)
- ピエール・カンブロンヌ (1842年没)
- ジャン4世 (ブルターニュ公) (1399年没)