伝記
マックス・エルンストは、1891年4月2日にドイツのケルン近郊ブリュールで、聾唖学校の教師でアマチュア画家だったフィリップ・エルンストと妻ルイーゼの子として生まれた。のちフランスに帰化し、さらにアメリカ合衆国へ亡命した経緯から、フランスとアメリカ両方の国籍を持った。父は厳格なキリスト教徒で、息子を敬虔な信徒として教育する一方、絵のモデルにも使っている。1906年、愛鳥のインコが死んだ翌朝に母が妹を産み、少年は衝撃を受けて、妹が鳥の精気を吸ってこの世に生を受けたと信じた。以後、鳥のイメージは重要なモチーフとなり、怪鳥ロプロプを中心に据えた作品群は好んで描いたところである。
1909年から1912年までボン大学で哲学、心理学、美術史を学び、ゴッホの絵に触れて画家を志した。1912年に「ライン地方表現主義者グループ」に参加し、アポリネールやドローネーと交流して「青騎士」グループとも接触した。1914年に第一次世界大戦が始まると砲兵隊員として従軍した。1916年にはダダイストたちと最初の展覧会を開き、1918年にルイーゼ・シュトラウスと結婚、1920年に息子ウルリッヒが生まれた。この年、ポルノグラフィー制作の容疑で起訴され、父からは呪詛を受けたが、アンドレ・ブルトンらパリのダダイストから共感を寄せられて、展覧会の開催を勧められた。1921年にはポール・エリュアールと出会い、「永遠の」友情を結んでいる。1924年、ブルトンの『シュルレアリスム宣言』に共感してシュルレアリスム・グループに合流し、1925年にはフロッタージュの手法に目覚めた。幼少時にはしかの熱にうなされて、天井の木目が目玉や鳥の頭に見えた体験があり、1925年に海辺の宿屋で同じ体験をして、木目に紙を置いて鉛筆でこすり、眺めて着想を得ることを覚えたという。1926年に『博物誌』を出版し、パリで初の大規模な展覧会を開いた。1929年に『百頭女』、1934年に『慈善週間』を出した。
1937年にイングランドの画家レオノーラ・キャリントンと出会い、パリで暮らし始めたが、1938年にブルトンがエリュアールの追放を呼びかけると反対し、グループを離れた。1939年に第二次世界大戦が始まると敵性外国人として逮捕され、レ・ミル収容所に収監されたが、エリュアールの助力で保釈された。1940年にはゲシュタポに逮捕されて再び収容された。この事件のあとキャリントンはスペインへ逃れたが、衝撃で精神を病んで入院した。1941年、緊急救助委員会の派遣者の尽力でスペイン経由でニューヨークに脱出し、経済的に支援した蒐集家ペギー・グッゲンハイムと結婚したが、間もなく離婚した。1946年には画家ドロテア・タニングと結婚してアリゾナに移住し、1948年にアメリカ国籍を得た。
1949年にパリへ戻り、1954年にヴェネツィア・ビエンナーレ展で大賞を受賞した。これを非難してシュルレアリスムからの追放を宣言したブルトンとは、1955年に絶縁した。1958年にフランスの市民権を得て、1975年にはニューヨークのグッゲンハイム美術館で大回顧展が開かれた。1976年4月1日、85歳の誕生日の前日にパリで死去し、2005年には故郷のブリュールにマックス・エルンスト美術館が開館した。
同じ年に亡くなった人物
- バーナード・モントゴメリー (1976年没)
- ローレンス・シールズ (1976年没)
- ミッキー・コーエン (1976年没)
- スティス・トンプソン (1976年没)
- ワーナー・アンダーソン (1976年没)
同じ地域に関係する人物
- ドミニク・アングル (1867年没)
- フェルディナン・フォッシュ (1929年没)
- テオフィル・アレクサンドル・スタンラン (1923年没)
- フィリップ・エリア (1971年没)
- モリス・ドゥラフォス (1926年没)