伝記
アルバロ・デ・ルナは、1388年から1390年のあいだに生まれ、1453年6月2日に没した、カスティーリャの政治家である。国王フアン2世の寵臣で、カスティーリャの大元帥とサンティアゴ騎士団の総長を務めた。アラゴンの王子たちに対抗して国王を支え、王室の政務に大きな力をもったが、国王の庇護を失い、1453年にバリャドリードで処刑された。
現在のクエンカ県のカニェーテで、エンリケ3世の酌係を務めた貴族アルバロ・マルティネス・デ・ルナと、気性が強く美しいとされるマリア・フェルナンデス・デ・ハラナの庶子として生まれた。1410年に、叔父のトレド大司教ペドロ・デ・ルナによって小姓として宮廷に紹介された。まもなく幼い国王フアン2世に対して強い影響力をもった。国王の叔父フェルナンドの摂政が終わる1412年までは、召使い以上の存在とは認められなかった。しかし、フェルナンドがアラゴン王に選ばれ、国王の母カタリナが摂政となると、重要な人物となった。1420年にエルビラ・デ・ポルトカレーロと結婚したが、子はなかった。1423年からは大元帥でサン・エステバン・デ・ゴルマス伯であった。1427年には貴族たちの連合によって宮廷から追放されたが、翌年に呼び戻された。1430年にはフアナ・ピメンテルと結婚し、2人の子が生まれた。
国王は彼を深く愛し、後世の迷信はそれを魔術のせいにした。国王は強欲な貴族たちの圧力を受けており、そのなかには、いとこにあたるアラゴンの王子たちがいた。ルナは、国王が好む乗馬や槍、宮廷詩にも長けていた。国王を意のままにしようとするアラゴンの王子エンリケとフアンらと、貴族の連合は、絶えず争った。1431年には、落ち着かない貴族たちをグラナダの征服戦に向かわせようとし、ラ・イゲルエラの戦いで一定の成功を収めたが、結局は失敗した。1445年の第一次オルメドの戦いで、アラゴンの王子たちと結んだ貴族の一派は敗れた。王妃の兄であるビリェーナ公エンリケは傷がもとで亡くなった。ルナは騎士たちの選挙によってサンティアゴ騎士団の総長となった。
その後、王妃マリアが不審な死を遂げ、ルナがその黒幕だと目された。それでも力は固まったかに見えたが、それは国王の個人的な愛情だけにもとづいていた。第2の妃となったイサベル・デ・ポルトガルは、ルナがまとめた縁組であったにもかかわらず、彼の巨大な影響力に不快を感じた。国王の会計官アルフォンソ・ペレス・デ・ビベロの殺害がルナの命令によるものと疑われると、イサベルは国王に寵臣の支配から逃れるよう迫った。1453年、国王はこれに屈し、ルナは逮捕され、裁判で死刑を宣告され、6月2日にバリャドリードで斬首された。ルナの働きの評価は分かれ、私利を求める寵臣とも、無政府状態に代わる王権を守ろうとした忠臣ともいわれる。マルガリータ・マヌエルとのあいだには、のちに正式に認められた庶子がいた。
同じ年に亡くなった人物
- シディ・ブーシャキ (1453年)
- ソフィア (1453年)
- ジョン・タルボット (初代シュルーズベリー伯) (1453年没)
- ムハンマド9世 (1453年没)
- ヤーコプ1世 (バーデン辺境伯) (1453年没)
同じ地域に関係する人物
- イサベル1世 (カスティーリャ女王) (1504年没)
- フアン2世 (カスティーリャ王) (1454年没)
- ミゲル・デリーベス (2010年没)
- レオノール・テレス・デ・メネゼス (1386年没)
- David Arellano (1927年没)