伝記
アニアノスは、アレクサンドリアの第2代総主教とされる人物である。福音記者マルコから司教に叙階され、この地でマルコが最初にキリスト教へ導いた改宗者でもあったと伝えられる。
伝承によると、マルコはキュレネからペンタポリスを経てアレクサンドリア郊外のラコティスに入ろうとしたとき、サンダルの紐が切れた。そこで靴職人だったアニアノスに修理を頼んだところ、作業中に錐が手元で滑って彼の手を刺してしまった。痛みのあまりアニアノスは「ヘイス・ホ・テオス(神は唯一である)」と叫んだ。マルコはこの機会に福音を説き、同時に奇跡によって傷を癒やしたといわれる。アレクサンドリアにいたアニアノスがなぜ一神教の信仰を持っていたのかは推測の域を出ない。ユダヤ人だったとする説、裕福なユダヤ人共同体の影響を受けた異教徒の現地人だったとする説、あるいは貴族だったとする説があるが、貴族説は現存する文書に合わないとされる。
マルコはアニアノスの家に招かれ、その家族に福音を教えて全員に洗礼を授けた。やがて現地の多くの人々が、マルコとその弟子たちによって改宗し、改宗しなかった市民は自分たちの土地の神々を守らねばならないと感じるようになった。よそ者であったマルコは、しばらくこの地を離れるのがよいと考え、自分の留守のあいだアニアノスを司教に叙階した。同時に三人の司祭と七人の助祭も叙階し、教会を見守る務めを彼らに託した。
マルコは2年間不在にし、その間にローマ、アクイレイア、ペンタポリスで説教し、奇跡を行い、改宗者を得たといわれる。戻ってみると、アレクサンドリアの教会は大きく成長しており、プトレマイオス朝のポルトゥス・マグヌスと呼ばれた東の港の岸辺、ブコリアに自分たちの教会を建てることができるまでになっていた。マルコが殉教すると、アニアノスはアレクサンドリア教会の総主教となり、17年半余りその地位にあった。その間にキリスト教徒の数は大きく増え、彼は増えゆく教会のために新たな司祭と助祭を叙階した。布教がどこまで及んだかは分かっていないが、新しい信仰に対する異教徒の敵意を考えれば、少なくともある程度は人目を避けて行われたと考える人もいる。アニアノスは寝床で亡くなり、バウカリスの教会でマルコの傍らに葬られた。在位は68年から82年とする説もある。
アニアノスを初代とみるか第2代とみるかには議論がある。カトリック教会などは彼を初代総主教とし、コプト正教会はマルコを初代として、アニアノスを第2代とする。アニアノスは聖人として崇敬され、祝日はコプト正教会では20ハトール、カトリック教会と東方正教会では4月25日である。米国ニュージャージー州モンロー・タウンシップには、世界で初めてアニアノスの名を冠したコプト正教会の聖堂がある。
同じ年に亡くなった人物
- Amanikhatashan (85年)
同じ地域に関係する人物
- Ibrahim Shams (2001年没)
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- アリスタルコス (紀元前230年代没)
- クレオパトラ7世 (紀元前30年没)