HISTORICAL PERSON · 43年没

ポルキア・カトニス

小カトーの娘で、カエサル暗殺者として名高いブルートゥスの2番目の妻。哲学に関心があり、キケロの書簡に主に登場する。

生涯
43年没
死亡地
イタリア共和国(ローマ県 / 古代ローマ)
出生地
古代ローマ
出典
世界地図
イタリア共和国(ローマ県)

伝記

ポルキアは、紀元前1世紀のローマの女性である。小カトーとして知られるマルクス・ポルキウス・カトー・ウティケンシスと、その最初の妻アティリアの娘で、カエサル暗殺者として名高いマルクス・ユニウス・ブルトゥスの2番目の妻として知られる。キケロの書簡に主に登場し、紀元前43年6月に没した。
生まれは紀元前73年ごろとされる。愛情深い性格で哲学に関心をもち、プルタルコスは彼女を「理解に満ちた勇気」をそなえた、若さと美しさの盛りにある女性として描いている。まだ幼いころに、父は不貞を理由に母アティリアと離婚した。若くして、父の政治的な盟友マルクス・カルプルニウス・ビブルスと結婚した。ビブルスは彼女より29歳年上で、結婚は紀元前58年から53年のあいだとされる。父はカエサルに断固として反対する閥族派の一員であり、ポルキアもその考えを受け継ぎ、取り決められた結婚に表立って異を唱えなかった。ビブルスとのあいだに少なくとも1人の息子を含む2人の子をもうけたとされる。ただしルキウス・カルプルニウス・ビブルスは、紀元前42年のフィリッピの戦いで戦える年齢だったことから、多くの近代の歴史家は彼女の子ではなくビブルスの前妻の子と考えている。

数年後、年長の高名な弁論家クイントゥス・ホルテンシウスが、カトーの一族とより近い関係を結びたいとしてポルキアとの結婚を申し入れた。しかしカトーはビブルスとの結婚を壊すことを拒み、代わりに自分の妻マルキアと離婚してホルテンシウスに与え、ホルテンシウスの死後に再び彼女を妻に迎えた。紀元前49年、カエサルがルビコン川を渡って内戦が始まると、カトーとビブルスはポンペイウス側についた。ビブルスはポンペイウスの艦隊をアドリア海で指揮したが、ファルサロスの戦いでポンペイウスが敗れたのち、紀元前48年にインフルエンザで死去し、ポルキアは未亡人となった。紀元前46年にはカトーがタプススの戦いでの敗北後に自害し、兄のマルクス・カトーはカエサルに赦されてローマに戻った。

紀元前45年、従兄のブルトゥスが妻クラウディアと離婚し、12歳年下のポルキアと結婚した。ブルトゥスが離婚の理由を示さなかったため、この結婚は醜聞となった。クラウディアは徳高い女性として人気があり、長年のブルトゥスの盟友アッピウス・クラウディウス・プルケルの娘でもあった。ブルトゥスの母セルウィリアは、異父弟にあたるカトーを嫌っており、ポルキアに対するブルトゥスの愛情に嫉妬したらしく、クラウディアの側に立った。一方でポルキアはポンペイウス派とカトー派の双方に好まれており、キケロやアッティクスらはこの結婚を歓迎した。この結婚は、ブルトゥスが叔父カトーに敬意を表す方法でもあったとされる。ポルキアは深くブルトゥスを愛し、献身していたようで、ブルトゥスの秘密を問いただすのは自分を試してからにしようと決め、苦痛にも屈しないと心に誓ったという。

紀元前44年、ブルトゥスは多くの共謀者とともにカエサルを暗殺した。ブルトゥスは胸の内の「重い秘密」を妻に打ち明けると約束していたが、その機会があったかどうかは定かでない。ポルキアが陰謀を知っていた、あるいは加わっていたと考える歴史家もいる。プルタルコスによれば、カエサルをどうするか思い悩むブルトゥスにポルキアが出会って理由をたずねたが、答えがなかった。彼女は、女だから拷問にかけられれば不本意にも秘密を漏らしかねないと不信をもたれたのだと考え、自分を証明するために、理髪師の小刀でひそかに自分の腿に傷をつけて痛みに耐えられるかを試した。

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