伝記
ルネ・ゲノンは、1886年11月15日にフランスのブロワに生まれた思想家である。形而上学、エゾテリスム(秘教)、「聖なる科学」、さらに象徴やイニシエーション(秘儀伝授)まで、多様な対象について著作を残した。のちにはアブドルワーヒド・ヤフヤというイスラーム名でも知られる。若い頃には「グノーシス教会」などの数々のオカルティズムの集団と交流を持ったが、後にオカルティズムを断罪する立場へ移った。1916年にソルボンヌで哲学修士号を得て教職に就いたものの、職を離れ、1921年に最初の著作『ヒンドゥー教義研究のための一般的序説』を発表した。
その後は、ブラヴァツキーらの神智学や心霊術を批判する『神智主義:ある疑似宗教の歴史』『心霊術の誤り』を著した。彼はこれらの運動を、物質主義的な観点から出てきた擬似的な精神主義とみなしていた。1924年には、近代西洋文明を正常な伝統的精神からの逸脱として批判する『東洋と西洋』を出版し、翌1925年にはシャンカラ学派の不二一元論を解説した『ヴェーダーンタによる人間とその生成』と、キリスト教的秘教を論じた『ダンテのエゾテリスム』を出した。同年からポール・シャコルナックの編集する雑誌の共同編集者となり、この雑誌は1935年以後『伝統研究』と改題された。ゲノンは数多くの論考や書評をそこで発表した。
1920年代には、ジャック・マリタンなど多くのフランス知識人に知られるようになり、1926年にはソルボンヌで講演も行っている。1927年には象徴論『世界の王』と、物質主義的な近代文明を批判して伝統的文明の骨子を示した『現代世界の危機』を出版した。1929年の『精神的権威と世俗権力』では、近代の逸脱の起源を1314年のテンプル騎士団の崩壊に求めた。1930年、スーフィズムの文書を収集して翻訳を出版する目的でカイロを訪れたが、この計画は出版社側の事情で頓挫した。それでも彼はフランスへ戻らず、日々窮乏する経済状態のなかで、世界各地の友人たちと熱心に文通を続け、著作活動を続けた。シャーズィリー教団に参入してスーフィーとして修行し、質素な生活を送ったという。1934年には、シャイフ・ムハンマド・イブラーヒームの娘ファーティマと結婚した。
1945年には『現代世界の危機』の続編にあたる『量の支配と時の徴』を発表した。これはゲノンの最高傑作と評価されている。1946年には『微積分学の原理』『大いなる三幅対』『イニシエーションに関する考察』を出版した。1951年1月7日、カイロ郊外の自宅で死去し、臨終の言葉は「アッラー」であったと伝えられる。
彼は一般的な意味での宗教学者でもオカルティストでもなく、秘教的次元で「諸伝統の究極的な一致」を説く思想家である。形而上学を「普遍的なものの知」と位置づけ、原初の伝統から展開した諸伝統の教義と、伝統から逸脱した体系とを厳密に区別して、後者を批判した。その影響は今日まで続き、フリッチョフ・シュオンやアーナンダ・クーマラスワミらとともに「伝統主義学派」の代表と見なされている。ミルチャ・エリアーデも彼に言及しており、アンドレ・ジッドは晩年に、ゲノンの書いたことに反対する理由を見出せないと語ったという。
同じ年に亡くなった人物
- アーサー・ヴァンデンバーグ (1951年没)
- アブドゥッラー1世 (1951年没)
- ワーナー・バクスター (1951年没)
- 徐載弼 (1951年没)
- ダリオ・アンブロジーニ (1951年没)
同じ地域に関係する人物
- ジャン=バティスト・クレベール (1800年没)
- Mahmoud Sami el-Baroudi (1904年没)
- アブド・エル・クリム (1962年没)
- アル=マクリーズィー (1442年没)
- イドリース1世 (リビア王) (1983年没)