HISTORICAL PERSON · 1951年没

徐載弼

朝鮮の革命家。金玉均とともに甲申政変を起こして失敗し日本、続いてアメリカへ亡命。医学を学びアメリカ市民権を得た。「韓国のヴォルテール」と呼ばれる。

生涯
1951年没
死亡地
アメリカ合衆国(ペンシルベニア州 / フィラデルフィア)
出生地
大韓民国(宝城郡)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(ペンシルベニア州)

伝記

徐載弼(ソ・ジェピル)は、1864年1月7日に朝鮮の全羅南道宝城郡に生まれた革命家である。英語名はフィリップ・ジェイソンで、「韓国のヴォルテール」と呼ばれる。父は郡長官を務めた人物で、本貫は大丘徐氏である。幼い頃は親戚のもとで育ち、のちに父の再従兄弟夫妻の養子となったとされる。7歳の頃から金玉均と親交を結んだとも、青年期に私塾で金玉均の改革思想に触れたとも伝えられ、いずれにせよ開化派の思想に傾倒していった。1882年に18歳で科挙に合格したが、これは最年少級の合格だったという。

翌1883年に日本へ留学し、慶應義塾で日本語を学んだのち、東京の陸軍戸山学校で学んだ。国王への報告で朝鮮の軍備が時代遅れだと説き、保守派には疎まれたが、志を同じくする若い知識人の間では広く知られるようになった。1884年12月、金玉均らとともに甲申政変を起こした。政変は清の介入により3日で失敗し、金玉均らと日本の軍艦で日本へ亡命したが、国際的な非難を避けたい日本が非協力的になったため、アメリカへ渡る決断をした。残された家族は閔妃一族による粛清に遭い、三親等までの近親者がことごとく処刑されたと伝えられる。彼は家族の半分を失い、命からがら国外へ逃れたという。

アメリカではキリスト教に入信し、苦学をしながら医学を学んだ。コロンビア医科大学の夜間部(現在のジョージ・ワシントン大学の医学部)に進み、在学中にアメリカの市民権を得て、1890年代初めに卒業した。朝鮮人として初めて米国市民権を得た人物とされる。1894年にはアメリカ人女性ミュリエル・アームストロングと結婚した。1895年に下関条約が結ばれると帰国し、政府の最高顧問の地位を打診されたが断り、開化派の運動機関として独立協会を組織して、ハングルだけで書かれた初の新聞とされる独立新聞の発刊にも尽力した。李商在、尹致昊、李承晩らが参加したが、協会の西洋思想は大韓帝国に疎まれ、高宗の勅令で解散させられた。1898年に再びアメリカへ亡命した。

アメリカでは米西戦争に軍医として従軍し、フィラデルフィア大学で解剖学の講座を担当する一方、市内で商店を経営して成功した。1910年に日本による韓国併合が行われると、活動家をアメリカに呼び寄せて支援した。1919年の3・1独立運動をきっかけに独立運動を再開し、アメリカ国内に韓国人団体を結成してロビー活動を行い、4月には「韓人自由大会」を開いた。上海臨時政府の対米顧問に任命され、1921年1月にはハーディング大統領と会見して朝鮮独立の後押しを要請した。

1947年、李承晩が建てた南朝鮮過渡政府の下で、アメリカ軍政庁は彼を最高顧問として招く構想を立てた。最初は固辞したが、呂運亨や李承晩らからも招請されて帰国した。しかし次第に李承晩と対立し、「50年前も今も派閥争いは相変わらずだ」と嘆いたという。左右合作運動を支持し、1948年7月の選挙では支持派から大統領に推されたが、出馬を固辞してアメリカへ帰国した。1951年1月5日、がんと老衰のためフィラデルフィアの病院で亡くなった。遺骨は1994年にソウルの国立墓地に改葬されたという。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物