HISTORICAL PERSON · 1951年没

ワーナー・バクスター

アメリカの映画俳優。西部の無法者を演じた『懐しのアリゾナ』で、1929年の第2回アカデミー賞主演男優賞を受賞し、トップ・スターとなった。

生涯
1951年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / ビバリーヒルズ)
出生地
アメリカ合衆国(コロンバス)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

ワーナー・バクスターは、1889年3月29日にオハイオ州コロンバスで生まれたアメリカ合衆国の映画俳優である。本名はワーナー・リロイ・バクスターといい、父エドウィンは葉巻売りの店を営んでいたが、五歳になる前に亡くなった。母ジェニーは息子を連れて、いったん母方の叔父のもとに身を寄せ、のちにニューヨーク市へ移った。そこで少年は学校の芝居に加わったり、劇場に通ったりして演劇に親しんだという。1898年、九歳のときに母とサンフランシスコへ移り、ポリテクニック高校を卒業した。1906年のサンフランシスコ大地震では一家がしばらく住まいを追われ、二週間にわたって猛火の中でテント生活を送ったとされる。1908年にはコロンバスへ戻っている。

はじめは農業機械のセールスマンとして生計を立てていたが、素人劇団での活動を足がかりに、舞台に身を投じた。キース・ヴォードヴィル巡業では、ドロシー・シューメイカーの相方として四か月ほど舞台に立った。1910年にはヴォードヴィルで食べていくようになり、ブロードウェイの劇や映画の出演も舞い込んだ。映画界には1914年に劇団の端役として入り、1921年の「シェルタード・ドーターズ」で初めて主役を務めた。1920年代には主演作が四十八本にのぼり、サイレント期には、舞台での経験とスマートな口髭を看板にした二枚目として、多くのメロドラマで人気を集めた。代表的な役に「或る男の一生」(1926年)や、ロン・チェイニーと共演した「西ザンジバル」(1928年)の酒浸りの医師がある。評論家デイヴィッド・シップマンは、スキャンダルとも派手な振る舞いとも無縁で、成熟した頼れる人柄が女性に好まれた俳優だったと評している。

トーキーの時代に入ってからも俳優として生き残ったが、当初はどちらかといえば影の薄い存在だった。トップ・スターの座についたのは、O・ヘンリーの小説を原作とする西部劇「懐しのアリゾナ」で、無法者シスコ・キッドを演じてからである。この作品は初の全編トーキーの西部劇といわれ、バクスターは第2回アカデミー賞の主演男優賞を獲得した。1930年には、権利の関係で直接の続編が作れなかったため、似た人物を演じた「アリゾナ怪盗異聞」に主演し、その後「シスコ・キッド」(1931年)でこの役に戻った。1933年にはその年で最も稼いだ男優となり、同じ年の「四十二番街」にも出演した。1936年には、ハリウッドで最も高給の契約俳優になっていた。同じ年のジョン・フォード監督「虎鮫島脱獄」は、批評家レナード・マルティンが演技の最高作と見たものである。

しかし1930年代半ばから、仕事の上でも私生活でも苦しみが増した。年に一、二本しか撮らない友人の俳優ロナルド・コールマンをうらやみ、自分はほとんど毎日働かねばならないと嘆いたという。1940年代になると人気は下降し、1943年には出演作はB級映画ばかりとなって、コロンビア社の「犯罪博士」シリーズなどに出た。神経衰弱に悩み、さらに強い関節炎にも苦しみ、その苦痛から逃れるため、脳の前頭葉を切除するロボトミー手術まで受けて出演を続けたとされる。1951年5月7日、肺炎のため六十二歳で亡くなった。生涯の出演は百本を超える。映画産業への貢献により、ハリウッドのウォーク・オブ・フェームに星が刻まれている。

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