伝記
オルカーニャは、本名をアンドレア・ディ・チョーネ・ディ・アルカンジェロといい、14世紀のフィレンツェの画家、彫刻家、建築家である。金工や、モザイクの制作も手がけた。生まれたのは1308年ごろとも、1315年から1320年ごろともされる。アンドレア・ピサーノとジョット・ディ・ボンドーネの弟子で、弟のヤコポ・ディ・チョーネとナルド・ディ・チョーネも画家であり、マッテオ・ディ・チョーネは彫刻家だった。主にフィレンツェとオルヴィエートで仕事をした。作風は、ドミニコ会に結びつく抽象的で概念的な傾向と、フランチェスコ会に結びつく自然主義的で造形的な傾向との、釣り合いのうえに成り立っているとされる。
1343年から1346年のあいだ、その名はフィレンツェの医師・薬種商の同業者組合に登録されている。1343年にはサンタ・マリア・ノヴェッラ教会で、ジェズ・ペッレグリーノ信心会のために働いていた。このころの作として、アテネ公の追放と自由な政体の回復を描いたフレスコ画が彼に帰されている。1348年にはサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の主礼拝堂の装飾を手がけた。1352年にはオルサンミケーレ教会の信心会から、教会のタベルナクルを注文された。1354年にはトンマーゾ・ディ・ロセッロ・ストロッツィから、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の一族の礼拝堂の多翼祭壇画を依頼され、1354年から1357年に聖母と聖者たちと救世主キリストの祭壇画を描いた。この間、フィレンツェの大聖堂の工事にも携わった。1358年には、弟マッテオとともにオルヴィエート大聖堂の正面中央のモザイクを手がけた。オルサンミケーレ教会のタベルナクルは、彫刻と象嵌で飾られた見事な天蓋付きの壁龕で、「イタリア・ゴシックのこの種の作品の中で最も完璧」といわれ、1359年に完成した。
1359年から1360年にはオルヴィエート大聖堂の工事の責任者を務め、1364年から1367年には同じ工事の顧問を務めた。1360年ごろにはサント・スピリト聖堂の食堂にフレスコ画を描いた。フレスコ画『死の勝利』は、フランツ・リストの『死の舞踏』に着想を与えたといわれる。1367年、フィレンツェの両替商組合から、『聖マタイとその生涯の物語』の制作を依頼されたが、病を患い、完成させることなく、翌1368年に亡くなった。この作品は弟のヤコポが仕上げ、現在はウフィツィ美術館にある。
ジョルジョ・ヴァザーリは彼を詩人としても挙げ、『画家・彫刻家・建築家列伝』に伝記を載せている。ヴァザーリによれば、オルカーニャは14世紀半ばのフィレンツェで最も強い個性の持ち主だった。弟子にはヤコポ、トンマーゾ・デル・マッツァ、ピサの画家ネッロ・ディ・ヴァンニがいる。ネッロはカンポサントでも仕事をし、ベルナルド・ネッロまたはジョヴァンニ・ファルコーネと同一人物と推測されている。
同じ年に亡くなった人物
- ブランシュ・オブ・ランカスター (1368年没)
- ボルコ2世マウィ (1368年没)
- ヨハン (1368年没)
- ライオネル・オブ・アントワープ (1368年没)
- Balsa I (1368年)
同じ地域に関係する人物
- Miguel Montuori (1998年没)
- イレーネ・ディ・グレチア (1974年没)
- Mario Luzi (2005年没)
- John Gualbert (1073年没)
- オドアルド・ベッカーリ (1920年没)