HISTORICAL PERSON · 1357年没

バルトールス・デ・サクソフェラート

14世紀イタリアの法学者で、ボローニャ・ピサ・ペルージャ大学の教授。演繹法で法を体系化して後期註釈学派を発展させ、「バルトールスの徒にあらざる者は法律家にあらず」と言われ、多くの著作を残した。

生涯
1357年没
死亡地
イタリア共和国(ペルージャ県 / ペルージャ)
出生地
イタリア共和国(サッソフェッラート)
出典
世界地図
イタリア共和国(ペルージャ県)

伝記

バルトールス・デ・サクソフェラートは、14世紀のイタリアで、ローマ法と大陸法の権威とされた法学者である。バルトルス・デ・サッソフェラト、バルトロ・ダ・サッソフェラートとも呼ばれる。ボローニャ大学、ピサ大学、ペルージャ大学で法学を教え、フランチェスコ会の修道士でもあった。

1313年、マルケ地方のサッソフェッラートに近いヴェナチュラ村に生まれた。父はフランシスカス・セヴェリ、母はアルファニ家の出である。ペルージャ大学に入って民法を学び、のちにボローニャ大学でも師について学んだ。1334年、21歳の若さで法学博士となった。1339年にピサ大学で初めて教壇に立ち、1343年にはペルージャ大学の教授に就いた。ペルージャの法学校をボローニャの水準にまで引き上げた功績により、1348年には同市から名誉市民の称号を受けた。1355年には神聖ローマ皇帝カール4世から法制顧問に指名された。ペルージャでは、バルドゥス・デー・ウバルディスが弟子となり、アンゲリウスとペトルスの兄弟も教えを受けた。1357年7月13日、43歳のときにペルージャで急逝し、聖フランチェスコの教会に葬られた。

短い生涯にもかかわらず、バルトールスは稀なほど多くの著作を残した。ローマ法大全の一部を除く全項目について解説を書き、水利権に関する著名な論文のほか、多くの各論を著した。裁判所や民間団体の求めに応じてまとめた法的な意見書は、400件近くにのぼる。スコラ哲学の演繹の方法で法を体系化し、実用に難のあった従来の註釈学派にかわる後期註釈学派を発展させた。「バルトールスの徒にあらざる者は法律家にあらず」といわれたという。

14世紀のイタリアでは、都市ごとに法と慣例が異なり、地域をまたぐ紛争を解決する法が強く求められていた。バルトールスの最も重要な業績は、こうした紛争解決に関する法分野を発達させたことと見なされている。紋章に関する論文では、商標法といった新しい概念も論じた。地方自治やイタリアの党派、小貴族による政権の合法性といった政治の問題についても書き、その考えは、地方政治の合法性を確かなものにしたうえで、神聖ローマ帝国の立場を尊重するというものだった。

生前から著名であったバルトールスは、ローマ法が発達したルネサンス期に、改めて権威ある法学者と見なされた。大航海の時代にあたる1427年と1433年のスペインの法典、1446年のポルトガルの法典は、ローマ法の影響が及んでいない地域にバルトールスの論を広めるべきことを定めている。彼の民法論が適用されていなかったイギリスでも尊敬を集め、オックスフォード大学で教えた国際法学者や民法学者、政治家で裁判官でもあった人物に影響を与えた。名は後世のイタリアの演劇にも使われ、ロッシーニの歌劇『セビリアの理髪師』やモーツァルトの『フィガロの結婚』に登場するバルトロもその例である。

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