HISTORICAL PERSON · 1346年没

フィリップ・ド・ブルゴーニュ (1323-1346)

ブルゴーニュ公ウード4世の子。エギュイヨンの包囲戦で落馬し、乗っていた馬に踏まれて死去した。

生涯
1346年没
死亡地
フランス共和国(ロット=エ=ガロンヌ県 / エギュイヨン)
出生地
—
出典
世界地図
フランス共和国(ロット=エ=ガロンヌ県)

伝記

フィリップ・ド・ブルゴーニュは、1323年11月10日に、ブルゴーニュ公ウード4世と、その妻でブルゴーニュ女伯・アルトワ女伯のジャンヌ3世との間に生まれた。両親の間に生まれた息子のうち、唯一成育した子である。父方では聖王ルイ9世の曾孫にあたり、母ジャンヌ3世はフランス王フィリップ5世の娘で、名は母方の祖父にちなんで付けられたという。フィリップ・ムッシューの呼び名で知られる。1330年に祖母ジャンヌ2世が亡くなると、母がブルゴーニュ女伯とアルトワ女伯の位を継いだ。

1338年、フィリップはオーヴェルニュ女伯・ブローニュ女伯ジャンヌ1世と結婚した。フィリップは15歳、妻は12歳であったとされる。この結婚によって、妻方のオーヴェルニュ伯とブローニュ伯の位を帯びた。2人は血縁が近かったため、結婚には教皇ヨハネス22世の特免が必要だったという。父ウード4世は、フィリップがアルトワ伯を名乗ることも認めたと伝えられる。

百年戦争が始まって間もない1340年、アルトワ伯領の相続を請求してイングランド側についたボーモン・ル・ロジェ伯ロベール3世がサントメールの町を襲った。フィリップは父とともに、この町を防衛した。この間、夫妻の間には3人の子が生まれた。長女ジャンヌは1344年、次女マルグリットは1345年に生まれたが、マルグリットは幼くして亡くなった。1346年には、のちにブルゴーニュ公となる長男フィリップが生まれた。

同じ1346年、フィリップはイングランド軍が占領した都市エギュイヨンの包囲に、のちのフランス王ジャン2世が指揮するフランス軍の一員として加わった。8月10日、敵軍との小規模な戦闘が起きた際、溝を飛び越えようとした馬がつまずき、フィリップは地面に投げ出されて馬に踏みつけられ、この傷がもとで死んだ。22歳であった。遺体はアジャンへ運ばれ、包囲は8月20日に解かれたとされる。この年、父ウード4世は遺言を作り、幼い孫のフィリップを唯一の後継者と定めた。

その後、遺された家族の境遇は大きく変わった。遺された長女ジャンヌは1347年から1355年までサヴォイア伯アメデーオ6世と婚約し、サヴォイア宮廷で育てられたが、10歳で婚約が解消され、ポワシーの修道院に入って1360年9月11日の死までそこで過ごした。妻ジャンヌ1世は1350年にのちのジャン2世と再婚し、数か月後に夫が王位についた。2人の間に子はなかった。長男フィリップは1361年に子のないまま亡くなり、ブルゴーニュ公領はフランス王領となった。公領はのちに、ジャン2世の末の息子フィリップ2世に与えられた。

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