HISTORICAL PERSON · 1346年没

シャルル2世 (アランソン伯)

アランソン伯。フランス王フィリップ6世の弟として将軍を務め反乱鎮圧にあたったが、クレシーの戦いで戦死した。

生涯
1346年没
死亡地
フランス共和国(ソンム県 / クレシー=アン=ポンティユー)
出生地
—
出典
世界地図
フランス共和国(ソンム県)

伝記

アランソン伯シャルル2世は、1297年にヴァロワ伯シャルルとアンジュー女伯マルグリットの次男として生まれた。のちにフランス王となるフィリップ6世の弟にあたる。「寛大な人」と呼ばれたという。1314年4月、ジョワニー伯ジャン2世の娘ジャンヌ・ド・ジョワニーと結婚した。初陣は父の指揮下で臨んだギュイエンヌでのことで、最初の包囲戦で勇気ある戦いぶりを見せた。

1325年12月16日に父シャルルが死去すると、シャルル2世は父との間で取り決めてあったとおりに、アランソン伯領、シャンプロン、シャトーヌフ=アン=ティムレ、スノンシュ、そしてペルシュの森を継承した。兄フィリップから改めてアランソン伯領を引き渡されたのは、1326年4月のことだという。1328年には兄がフランス王となり、同じ年のカッセルの戦いにシャルル2世も加わった。ところがイングランド王エドワード3世がフランス王位を主張して臣下の礼を拒んだため、フィリップ6世はシャルル2世を王国の将軍に任命し、イングランド側が起こしたサントの反乱を鎮めに向かわせた。シャルル2世はサントをはじめいくつかの要塞を奪った。

1335年、妻ジャンヌが父の跡を継いでジョワニー女伯となったため、シャルル2世はシャルトル伯とジョワニー伯を兼ねることになった。しかしジャンヌは1336年9月2日に死去し、2人の間に子はなく、この兼領は1336年に終わった。同じ1336年、シャルル2世はスペイン王族フェルナンド・デ・ラ・セルダの娘マリアと再婚した。マリアはすでにエタンプ伯シャルル・デヴルーに先立たれた未亡人であった。この結婚で生まれたのは、シャルル3世(1337年生)、フィリップ(1338年生)、ピエール2世(1340年生)、イザベル(1342年生)、ロベール(1344年生)である。

その後シャルル2世は、ブルターニュ継承戦争に参加した。続いて臨んだのが1346年のクレシーの戦いで、ここで戦死した。没したのは8月26日とされる。遺体は父と同じく、パリのサン=ジャック通りにあるジャコバン修道院に葬られた。その彫像は今日サン=ドニ大聖堂にある。アランソン伯位は長男のシャルル3世が、ペルシュ伯位はロベールが継いだ。シャルル3世はのちにリヨン大司教となり、フィリップはボーヴェ司教に選ばれ、のちルーアン大司教、枢機卿となった。イザベルは修道女となり、ポワシーで世を去った。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物