伝記
アンナ・フォン・ベーメンは、1323年3月27日に生まれたボヘミアの王女で、のちにオーストリア公オットーの2番目の妃となった。父はボヘミア王ヨハン、母はその最初の妃エリシュカ、すなわちエリーザベトである。母は亡命中で、アンナはバイエルンの国境の小さな町ハムで、双子の姉妹エリーザベトとともに生まれた。ヨハンは亡命中の妻と娘たちを経済的に支えた。双子の姉妹は1324年に早世した。母は1325年にアンナを連れてボヘミアへ戻ったが、健康を取り戻せなかった。兄に神聖ローマ皇帝となるカール4世がおり、姉ボナはフランス王太子ジャンの妃となった。
1327年2月13日、父はアンナの婚約を、ハンガリー王カーロイ1世の息子ラースローと決めたが、ラースローは1329年に死去した。教皇からの特免状を受け取ったのち、神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世の息子ルートヴィヒ6世と新たに婚約した。しかし、ルートヴィヒ4世が破門された、あるいはその恐れがあったために、この結婚も破談となった。ハプスブルク家との同盟を強めたい父の意向により、結婚相手はハプスブルク家から選ばれることになった。1330年初頭に父はオーストリア公オットー側へ結婚を申し入れたが、このときは教皇の特免状が得られなかった。この1330年には母が結核で亡くなっている。1335年になってベネディクトゥス12世から特免状が出された。ハプスブルク家はこの結婚により、下オーストリアのヴァイトラ、ラー・アン・デア・ターヤー、ラーベンスブルクの都市を手に入れた。
アンナは1335年2月2日にプラハへ到着した。それまでは、姉ボナに従ってフランス宮廷にいたとみられる。結婚式は1335年2月15日か16日に、ズノイモで行われた。アンナはこのとき12歳とも7歳ともいわれ、夫となるオットーは年の離れた再婚の相手であった。オットーの最初の妃エリーザベトは、2人の息子を残して亡くなっていた。アンナは、夫の兄アルブレヒト2世の妃ヨハンナ・フォン・プフィルトとともに、オーストリア公妃の座にあった。
1338年9月3日、アンナは15歳で亡くなった。子はなかった。オットーはその半年後に死去し、2人は最初の妃エリーザベトの眠る場所に、ともに葬られた。
同じ年に亡くなった人物
- トマス・オブ・ブラザートン (初代ノーフォーク伯) (1338年没)
- 新田義貞 (1338年没)
- ムハンマド (イルハン朝) (1338年没)
- William II of Athens (1338年没)
- テオドーロ1世 (モンフェッラート侯) (1338年)
同じ地域に関係する人物
- オットー (オーストリア公) (1339年没)
- カタリーナ・レナータ・フォン・エスターライヒ (1599年没)
- イビチャ・オシム (2022年没)
- マリア・アンナ・フォン・バイエルン (1574-1616) (1616年没)
- エルンスト (オーストリア公) (1424年没)