HISTORICAL PERSON · 1338年没

トマス・オブ・ブラザートン (初代ノーフォーク伯)

イングランドの貴族。エドワード1世の子でノーフォーク伯に叙され、王妃イザベラのクーデターでは彼女を支持した。

生涯
1338年没
死亡地
イギリス連邦(サフォーク / フラムリンガム城)
出生地
イギリス連邦(ブラザートン)
出典
世界地図
イギリス連邦(サフォーク)

伝記

初代ノーフォーク伯トマス・オブ・ブラザートンは、1300年6月1日に北ヨークシャーのブラザートンで生まれたイングランドの貴族である。父はイングランド王エドワード1世、母は2番目の王妃マーガレット・オブ・フランスで、その最初の子、長男にあたる。エドワード2世の異母弟であり、1年後には弟エドマンド・オブ・ウッドストックが生まれた。年代記作者ウィリアム・リシャンガーは出産が難産だったと伝える。母マーガレットが聖トマス・ベケットに祈り、その感謝として、生まれた子はベケットにちなんで洗礼を受けたという。トマスと弟は6歳になるまで乳母に預けられ、チェスや乗馬を習った。

エドワード1世は、ノーフォーク伯ロジャー・ビゴッドが嫡出の子を残さずに死んだ場合、トマスに年1万マルクの収入とノーフォーク伯位を与える考えでいた。ビゴッドはその年の12月に没して領地は王の手に戻ったが、父王自身もトマスが7歳のときに亡くなり、王位は異母兄エドワード2世が継いだ。トマスは甥である後のエドワード3世が生まれるまで、兄王の王位継承者の立場にあった。1312年12月16日、エドワード2世はトマスをノーフォーク伯に叙し、ビゴッドの領地を与えた。1316年には、ビゴッドが持っていた軍務伯の称号を受けた。1316年から1320年の間の頃には、サー・ロジャー・ヘイルズの娘アリスと結婚し、長男エドワード、長女マーガレット、次女アリスの3子をもうけた。長男は1334年より前に夭折している。

母マーガレットの死後、トマスは弟エドマンドとともにその遺言執行人に指名された。2人は、エドワード2世とランカスター伯との和解を定めたリーク条約の立会人も務め、国王の命でスコットランド王位を求めるエドワード・ベイリャルを一行に迎えた。兄王がスコットランド侵攻に備えて北部に向かうと、トマスは王国の留守を預かる摂政に任じられた。この間、ロンドン市長らの争いに対しては、当事者どうしで解決しなければ自分がウェストミンスターで裁くと告げ、合意に至らせている。1319年の夏、兄王はスコットランドの都市ベリックの包囲に向かい、トマスも従軍して騎士に叙されたが、包囲は成果なく終わった。その後は兄王に従ってフランスに赴き、アキテーヌの領地についてフランス王に臣従の礼をとる場に立ち会った。ヘレフォード伯が新たな寵臣ヒュー・ル・ディスペンサーに対して兵を集めた際には、国王の名で交渉を試みたが失敗し、ビルス城を占拠して伯の手に渡らないようにした。1322年には男爵たちの反乱を鎮める兄を助けた。しかしそのころから、王がディスペンサーを重用することをめぐって対立するようになった。

1326年、王妃イザベラとロジャー・モーティマーが起こした蜂起をトマスは支持し、これがエドワード2世の廃位につながった。新体制のもとでは目立たずにいたが、1328年ごろにはピーター・ド・ブローズの娘メアリーと再婚した。この結婚では、生き残った子は生まれなかった。1329年に失敗に終わった反乱を消極的に支持したものの、摂政たちの怒りを買うことはなかった。1330年に甥のエドワード3世が自ら統治を始めるようになると、政府の中での影響力を強め、その後はいくつもの使節や軍事遠征で王に仕えた。

トマスは1338年8月4日に没した。長女マーガレットが爵位を継ぎ、2代ノーフォーク女伯となった。彼女は1397年、孫のトマス・モウブレーがノーフォーク公に叙された際に、一代限りのノーフォーク女公に叙されている。

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