HISTORICAL PERSON · 1945年没

フランシス・アストン

イギリスの化学者、物理学者。質量分析器を発明して1922年にノーベル化学賞を受けた。グロー放電の陰極付近の暗部を発見し、これは「アストン暗部」と呼ばれる。

生涯
1945年没
死亡地
イギリス連邦(ケンブリッジシャー / ケンブリッジ)
出生地
イギリス連邦(ハーボーン)
出典
世界地図
イギリス連邦(ケンブリッジシャー)

伝記

フランシス・ウィリアム・アストンは、1877年9月1日、イギリスのバーミンガム近郊ハーボーンに、富裕な商人ウィリアム・アストンとファニー・シャーロット・ホリスの三番目の子、次男として生まれた化学者、物理学者である。ハーボーンの牧師館学校で学び、のちウスターシャーのモルヴァーン・カレッジに寄宿した。1893年にメイソン・カレッジで大学の勉強を始め、物理学をポインティング、化学をフランクランドとティルデンに学んだ。1896年からは、父の家に私設した実験室で有機化学の研究も行っている。1898年にはフォースター奨学金を得てフランクランドの学生となり、酒石酸化合物の光学的性質を研究した。さらにバーミンガムの醸造学校で発酵の化学に取り組み、1900年に醸造会社に就職して、3年間勤めた。

しかし真空放電に興味を持つようになり、1903年にバーミンガム大学のポインティングのもとに戻った。大学の奨学金を得て、X線や放射能の発見に続く物理学の研究に取り組み、手製の放電管で気体を通る電流を調べるうちに、グロー放電の陰極付近の暗い部分を見つけた。この部分は現在「アストン暗部」と呼ばれる。父の死と1908年の世界一周旅行を経て、1909年にバーミンガム大学の講師となり、その後ケンブリッジのキャヴェンディッシュ研究所に移って、1906年にノーベル物理学賞を受賞したジョセフ・ジョン・トムソンの助手になった。1910年にはバーミンガム大学から理学士、1914年には理学博士の学位を受けている。

キャヴェンディッシュ研究所では陽極線の分析を研究した。陰極線管の陰極側の電極に、陽イオンが通る穴を設けると、陰極付近が光るカナル線の現象が起きる。このカナル線が元素の陽イオンであることを確認し、磁界を与えるとローレンツ力による偏向の度合いが原子の質量によって変わることを利用して、さらに写真乾板を組み合わせることで、原子量の測定精度をそれまでの方法より飛躍的に向上させた。1912年には、ネオンが質量20と22のほぼ二つに分かれることを発見し、ネオンが2つの質量をもつ同位体の混合物であることを示した。この同位体の存在の証明は、各元素の原子量が水素原子の整数倍になるとするプラウトの仮説が、塩素などで成り立たなかった理由を説明することになった。第一次世界大戦で研究は中断され、飛行場で航空機用の塗料の化学的研究に携わった。

戦後はキャヴェンディッシュ研究所に戻り、最初の質量分析器を完成させて、1919年に報告した。以後も装置を改良し、自然に存在する212の同位体を同定した。酸素の質量を16としたとき、各元素の質量が極めて整数に近い値を示すとする「整数則」を定式化し、1個の陽子からなる水素だけが0.8パーセント程度大きな値を示すことは、質量が原子核の結合エネルギーに変換されるという質量欠損の理論に結びついていった。1921年に王立協会フェローに選ばれ、1922年に質量分析器による同位体の発見でノーベル化学賞を受賞し、同年にヒューズ・メダル、1938年にロイヤル・メダルを受けた。私生活ではスポーツを愛し、1945年11月20日に亡くなった。

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